知ってるつもり、仏国寺
こんにちは、@yasuです。
歴史を日韓両国のWikipediaに書いてある内容で見ていくシリーズです。
今回は、仏国寺です。
このシリーズのコンセプトは、日韓両方のWikipediaを信じて、まとめます。
今回はやや残念な結果となりました。
今回のポイントは、1914年と1954年の写真を見ると修繕されているのが分かりますが、この期間中の説明がどのようになっているか確認すると分かります。
もったいぶることはないのですが、、、
1914年の仏国寺(澤俊一撮影)。仏国寺の現況は、1970年代の大規模修復を経たもの
日本Wikipediaより
管理されずだいぶ荒れているように見える。
修繕されているように見える。
それでは、日本に関する内容に絞って見てみます。
日本Wikipediaでは、
朝鮮総督府による再建工事した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%9B%BD%E5%AF%BA
1904年から1905年にかけて紫霞門左右の行廊も倒壊、石壇も埋もれた状態となったが、日本統治時代の1924年4月から1925年8月迄の朝鮮総督府による再建工事によって石壇・石廊を含む主要構造が修復された。戦後の1973年に発掘調査後、改修工事で無説殿、観音殿などが再建された。
2010年に日本の仏師の福井照明が製作した四天王像など12体の仏像が寄贈され、仏国寺・聖宝博物館に常設展示された[2]。
韓国Wikipediaでは、
日本軍の放火や破壊などがあった。
https://ko.m.wikipedia.org/wiki/%EB%B6%88%EA%B5%AD%EC%82%AC
1593년 5월 의병과 승군의 활동으로 많은 피해를 입고 복수심에 사로잡힌 왜군의 방화와 파괴등으로 큰 피해를 입어 2,000여 칸의 대가람이 전소되는 고난을 겪게 되었다.
Google 翻訳
1593年5月に義兵とスングンの活動に多くの被害を受けて復讐心に駆られた日本軍の放火や破壊などで大きな被害を受け2,000カーンの大伽藍が全焼される苦難を経験した。
비로전 앞에 석등 모양으로 된 사리탑은 한때 일본 사람에게 팔려갔다가 1934년 반환되어 제자리에 다시 세운 것이고, 이와 맞선 관음전 앞에도 석등이 남아 있다. 1970~1972년 정부 보조비를 포함한 총공사비 3억여 원을 들여 복원시켰다.
Google 翻訳
毘盧殿前の石灯の形にされた舎利は、かつて日本の人に売ら行っ1934年返され、所定の位置に戻って立てたものであり、このお見合い観音殿の前にも石灯が残っている。1970〜1972年の政府補助費を含めた総工費3億ウォンをかけて復元させた。
改めて日本は素晴らしいです。誤解が多く残念でたまりません。
情報をありがとうございます!