実家は小牧のうなぎ屋:昭和51年(1976年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

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実家は小牧のうなぎ屋
この地は、叔母(すし銀茶屋のオーナ、最近まで美濃加茂にお店がありました)が購入した場所。
その場所を父が1971年頃譲り受けて飲食店を始めた。
所在地は小牧市北外山(大字 南屋敷)
実家の思い出を綴ります。

夏が来ると思い出す。
セミの声、小牧市七夕祭り、そしてうなぎ。

土曜の頃、学校から自宅に戻る。
ダクト(換気扇)の「ゴォ~」という音と一緒に
うなぎの香りが私をつつむ。

「ただいま~」と裏から店に入ると、そこは慌ただしい。

この頃、自宅は1階で、お店の奥にすまいがあった。
裏口から入って、お勝手を通りトイレの前を通過して
始めて住まいにたどり着く。

弟はまだ4歳。幼稚園に通い始めたばかり。
家は父と母と職人とパート4~5人でまわしていたため
家事ができない。
細川さんという自宅の近くに住んでいたおばあちゃん(細川さん)が
洗濯やその他を手伝ってくれていた。

住まいについて、じっと待つ。

時間は14:00頃

母が「昼食だよ」と呼びに来る。
飲食店の昼食は14:00位、昼の部から夜の部の間を準備中
とする我が家では、この準備中に食事をとる。

テレビでは吉本新喜劇が流れる、間寛平、木村進などが
若手として活躍している。

そんな昼に「うなぎ丼」が出る。
カレー、スパゲティー、ハンバーグが好きな子供にとって
ありがたくない食事。

おいしいとは感じない。

でもタレは好きだった。

飲食店は毎日 お米がたけているので、小腹が空いたら、
ご飯にタレをかけて食べる。
タレは、小牧の味噌鉄というお店で売っている醤油を父が
加工して作ったもの、何年も継ぎ足している。

旨かった。

うなぎ屋の息子にとっての土用の丑の日は夏の思い出。

また食べたいなぁ~ でもあの味を再現できる人はこの世にいない。

元ネタ:実家は小牧のうなぎ屋:昭和51年(1976年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて|n.tom|note - https://note.com/tomotana/n/nad9256bebf71

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