岡本光博さんのアート作品
風邪はほぼ治りましたが、病み上がりで、100均で買い物に行くのが精いっぱい。
だから今日は自分のことの代わりに、このアーティストのことを書いておこうと。
岡本光博さん。社会に鋭く切り込む京都在住の現代美術作家。京都・東山でKUNST ARZTというギャラリーも主宰していらっしゃいます。私も何回かお会いしたことがあるので、気になったことがあったので書いておこうと思います。
その岡本さんが沖縄県うるま市で開かれるアートイベントで描いた作品が、自治会から強い反対があったため市によって非公開とされることになり、板で覆われたそうです。
当該作品についての記事は
http://www.asahi.com/articles/ASKCH7GG6KCHUCVL030.html
に載っています。
また、岡本さんの他の作品については
http://okamotomitsuhiro.com/
で閲覧することができます。
私は作風は特に好きというわけではありませんが、その社会性を強く帯びた作品を創り続ける姿勢はすごいと思っているし、これからも続けてほしいと思っています。
ただ、今回の場合、そこに住む当事者の強い反対があったようです。
住民の気持ち、というのも考えなければならないというのは、ある程度は理解できます。
しかし、外からきたアーティストに、昔からそこに住む人たち、当事者のことを分かれと言われても、100%分かるのかどうか。
ただただ「多くの人を地域に呼び込もうという趣旨に合った作品」を求めるのであれば、ほかのアーティストを呼べばよかったのに、とも思います。
そもそも「町おこしのために」アートイベントをやるというのも疑問に思う私です。別にやってもいいけど、何の毒にも薬にもならぬ作品ばかり展示してあったら、多分私はすぐに帰ってしまうと思います。
ただほかの人にとっては「きれい」「かわいい」等々で喜ばれるかもしれないので、私は「町おこしのための」アートイベントからは距離を置きたくなりました。
まとまりのない文章ですみません。
#japanese タグでもこういうテーマで書いていいんですね。英語だと政治絡みの投稿は無数にありますが。ここをガラパゴスな場にしないためにもまた日本語で書こうかと思い始めています。病みあがりとのこと、お大事にしてください。
ありがとうございます。書いてもいいと思いますよ。ただ色々な考えの方がおられるので、真摯な意見には目を通し、答えられる範囲で答えるつもりで、私はこの記事を書きました。
米国では「政治的に正しいpolitically correct」ということがよく話題になります。「この番組はpolitically correctじゃないから放映するべきではない」、「この作品はpolitically correctじゃないから展示されるべきではない」といった形で使われる言葉です。人によっては、「クリスマスツリー」も政治的に正しい言葉ではないと主張し、他の宗教の人を考慮して「ホリデーツリー」と言い換えるべきだと唱えています。芸術の世界にも「政治的な正しさ」を求める人がいるのは分かりますが、作品の非公開というのは行き過ぎなような気がします。
米国の方が健全なように思います。日本では「政治的メッセージがこめられている」というだけで忌み嫌う人がたくさんいます。それに、この作品の場合、作者、主催者、住民、鑑賞者の間でろくに議論もされていません。みんなが作品を見て、議論すべきだと思うのです。それをしないまま非公開にしてしまうとは憤りを感じます。
しかし、この「落米のおそれあり」という作品のどこが悪いのでしょうね。私には風刺的な作品にしか見えません。こんな無害な作品を非公開にしてしまう人たちの頭は、いったいどんな構造になっているのでしょうね。全く信じられない人たちです。
続報です。「政治的なアート」揺れる地域 米軍機題材で公開中止
http://digital.asahi.com/articles/ASKCK2F1JKCKUCVL001.html
岡本さんが「アートの都合の良い面だけを利用しようとしているのではと感じる」とおっしゃっていますが、私は岡本さんの意見に同感です。
さっそく記事を読みました。この部分に呆れてしまいました。「自治会長の男性(60)は『誰もが素晴らしいと感動する絵ではなく、政治的な主張をする作品』と憤る。」 “誰もが素晴らしいと感動する絵”などこの世に存在しません。あまりにも低い次元での意見にウンザリしました。
そうですね。それでいきなり非公開にしてしまいました。残念です。