子供の留学を考える方々に、刑務所で出会った留学生−1

in #jp6 years ago

图片 1.png北京フリーランス(同通&逐次&翻訳)ー日中韓

真っ頭に
まず、この文書を作成するにあたり、誰かを非難することも、誰かを評価することもなく、留学生が増えつつ、ある意味中国の大都会では必修過程になってきているような雰囲気もあり、自分も中学生の息子のアメリカ留学を考えている最中にまだ違う面が見えてきましたので、留学を決めるときにはあらゆる可能性を配慮すべきてはないかと。特に我が子を冷静に知るべきではないかと。

最初に翻訳会社経由に北京の南6環線あたりの監禁所に通訳として呼ばれたのは17年9月末19回党大会の直前のことだった。

家からは20kmほどだったが車でなしではなかなかアクセスし難い人気の少ない荒地で、ついたら周辺には他にも3、4件の別の機関が管理している似たような拘置所や刑務所が看板を立てていた。拘置されたからみんな悪いとは言えない、特にこの国では、と思いながらなるべく平気に行動し、容疑者に差別的な思いをしないように心構をしたが、何となく緊張感に追われることは仕方がなかった。

警備室で入門手続きを済ませ迎えきた警官に付いて、事務棟の4階でさらに訳者証明やらを提出され、監禁棟の前でさらに身分確認をして、実弾武装兵士3人に守られているゲイトを潜ると、6、7m幅の土面の庭を挟んで5階建ての監禁棟が出た。ロビでもう一度身分確認と入場記録帳簿にサインをやらされた。言われた通り行動して、開けてくれるドアを通過して中に入ったが、カーブ毎、階マイに鉄条のトビラが設置されており、そのゲイトの開け閉め度の大音に心臓が驚き、その度に自由が一層ずつ向き落とされる気がした。誰もいないような静かな通路にカチャンカチャンと響いた。この心を痛ませる音の中でようやく4**尋問室に辿りついだ。事務棟を出てから知らずうちに自分が警官が口にはしていないが、許されだ行動に従っていだ。

入ると3X5mの部屋に、鉄条窓側に容疑者椅子が置かれてあったが、丈夫そうなステンレス製で四脚は床に固定されており、座れたら前から横棒を走らせて鍵を閉める構造であり、その棒の下側はジクジャクになっていて、開けないまま立つと刺されていたそう、座られたというより、椅子に固定されたという方が正しいかな。窓から2mぐらいに鉄条の仕切り壁があって、その下にはテーブルがあり、パソコンとプリンターが置かれていた。基本二入同席業務ようで、椅子が二つ並ばれていた。今日は通訳がきたので隣の椅子を一つ借りてきて、上級警官が後ろに座り、私と別の警官が並んで座った。

ノックに振り向くとオレンジ色のジョッキー姿の容疑者が警察に引率されながら入ってきた。容疑者を椅子に座らせ横棒に鍵をかけてから警察はでながら笑顔でこちらに視線だけの挨拶をしてさっていった。

一連の決まった質問を終わらせて、来られたストーリを聞くと。
彼は、北京**大学の3年生在籍中。2ヶ月ほど前、夜中まで友達と酒を飲み、飲み崩れた状態でバイクを運転して帰宅したが、その途中に前のトラックにぶつかりその場で意識をうしない、トラックの運転手が救急車を呼び病院に運ばれ治療を受けていたが、意識不明の状態で韓国から走りかけてきた母親によってソールに運ばれ治療を受けた。未だ軽い脳震盪があるが、中国に戻り警察に出頭した。自分は、入国手付きの時にその場で逮捕されると想像していたが(テレビのシーン)、何も言われなくて驚いた、と、次の日に貸し家の近くの警察に出頭したという。

深く反省していたし、学校で修学できるかなどをすごく心配していた。途中で、心配のあまり気持ちを抑えようとタバコを要求した。限られた行動しかできないが、タバコを受けるにも、髪の毛を直すにも手錠だったので両手が同行した。

奨学金ももらい、バイトもして自分の生活費用は自力で賄いていた。たが、中国政府は留学生のバイトを許してないので違法だから、家の送金があると返事するように言ってあげ、警察にも書き直してもらえるようお願いしたら、気楽に応じてくれだ。警察もバイト禁止のことは知っていなかった。世間的には彼もそれなりに励ましてもらえることなので、通訳がやってはいけないが、そうしてしまった。

9月末なのに半袖に果たしのままだった。経緯を聞くと出頭したその場で、逮捕されだし、ここでは個人用品が支給されず、家族から指定の銀行カードを作り渡されると、週に1回程度でスーパーから必須品を売り込みに来るので、その時窓を介して買えるという。持ってた現金は警察に預けられので、二日間歯ブラシもタオルもないままの生活をしているのだ。

血が湧く青春で他人の身体にも財産にも害になってないので、一度ぐらいは許せるミスだと思い、出たら100元を入れてやると約束した。ところが、尋問を終わらして、尋ねると家族のみできると。外国人の場合は大使館の職員か、大使館の委託狀を持ってからお金を渡せることがわかった。

次の日、聞いた住所をあてにルームメートを訪ねだが、留守だったので連絡くれとメモを貼って帰った。夕方ごろに連絡きたので、大使館経由にカードを作るよう説明をした。

道端に戻ると駐車違反が貼られていた。自分が悪いと自分を説得した。私は戦争の時父親が移住してきて、88年に初めておばさんが韓国に帰国した時、韓国政府が父親の戸籍を残してくれていることを初めてわかった。韓国は何しろうちの一家のマザーランドである。この国と、人たちには切ない感情がある。

初めの案件は切り切りに許せる範囲の事件だった。

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