カオス
眠れないときは真夜中の駅に行く。そこにいるのは僕だけだ。全てが解放され僕は暗闇の中で自由自在に思考をめぐらす。普段、考えていることを深いところまでダイブして、心の奥底に眠っている感情を引き出す。
そうすることによって、思考がカオスとなって混然となり、自分の座っているベンチが突然、うなりを上げる。それによって、僕は上下左右の感覚がなくなり、大きなうねりの中に巻き込まれる。
そこにいるのは、本来の自分であり、且つ、本来の自分ではない。どれが、真実であり、どれが、虚構であるのか判然として自分自身が分からなくなる。無人の駅には、言いようもしれぬ感覚が存在する。
その中で、自分を見失うことのないようにしているが、カオス化により、どれが、真実なのかが曖昧になる。まるで、自分が二人になっているかのようである。真実を追い求める自分と、曖昧模糊とした自分がいる。
そして、その二つが重なりあうことにより本来の自分が見えてきそうに思える。そこに見えているのは、力強い僕ではなく、弱い自分自身をまるで鏡を通してみるかのように自分という存在を認識する。
あらゆる弱さを僕が抱え込んでいるような気持ちになる。そこにあるのは、善なのか悪なのかは判断がつきにくい。そして、正しいようで正しくないような感覚に陥る。そこにあるのは、狂気じみたものである。
そういった感覚を抱くのは、真夜中に人気のない駅のベンチに座っているからである。そして、混然とした中で自分の意識にフォーカスして、普段の自分を取り戻す。しかし、普段の自分とは違った面を見られることがある。元の僕ではなく、少しだけ変化した自分自身を見つけることが出来る。
それが良いのか悪いのかは判断しにくいところである。あくまでも、真夜中の駅にあるベンチに座り、目をつむって身をゆだねているので、受動的でありながら、どこか、攻撃的になる自分がいる。その相反する感情をコントロールするのは難しい。
それでも、自分自身の考え方が変わってくる。今までの自分とは違った自分がいることを発見することが出来る。だから、眠れない夜には真夜中の駅のベンチに行くようにしている。