強がるのは
強がるのは、もうそろそろ止めにしないか?ありのままの自分を受け入れることをしないか。本当は、とっくに気づいていいるんだろう。自分自身の弱さを。それを、素直に受け入れることが出来ないから、軋轢が生じ様々なところで歪が出る。
それを繰り返すことによって、今日も一日が始まろうとしている。強がることは、決して悪いことではない。しかし、強がることによって疲弊し自分自身を削り取るようなことになっていては元も子もない。
強がることによって、必要以上に自分自身を大きく見せるというのは愚の骨頂でもある。まるで、孔雀のオスがメスに対して自分がどれだけ大きくて美しいのかを見せるかの如くである。
先ほども述べたが、必要以上に自分自身を大きく見せるのは、自分自身のエゴイズムから来ている。だから、やたら攻撃的になったりするのである。こういうことを繰り返していけば、友人が離れていってしまう。
最も大切なものを失うというのは悲しい。だから、今、自分は何が出来るのかを把握して、それに沿ってやっていけばいい。出来るのは、英語の勉強とエッセイの書き下ろしである。それも、ままならない。というのは、ノートパソコンの調子がすこぶる悪いからである。
どう、調子が悪いのかと言えば、ネットサーフィンや、ブログを書いている途中で液晶の画面が真っ暗になる。そして、一旦、ノートパソコンをとじて、スリープ状態にして開けると、元の状態になる。そんなことを繰り返していくうちに、頻繁に画面が暗くなるのである。
デスクトップパソコンを調べると、液晶とキーボードとエクセルにワード、アウトルックがついて2万7千円弱である。しかし、今の僕には出せない金額である。今は、騙し騙し使うしかないのかなと思ってしまう。
何は、ともあれ何とかこの状況から抜け出せるようにしたい。そのためには、無い知恵を絞って考えなければならない。こんな時期にノートパソコンの調子が悪いとなると、目も当てられない。電子書籍を販売することも出来ないし、エッセイの公募も出来ない。
エッセイの公募は、最悪、自筆で原稿用紙に書けばいいけれど、電子書籍はそうはいかない。それに、8月から受講を予定しているメンタル心理カウンセラーの資格を取るためには、パソコンが必要である。やはり、社会福祉協議会にお金を握られているので、こういういざ必要になる場合にお伺いを立てなければならない。こうなったのは、自分自身が招いた結果なので、何も言うことはないが、出来ることならパソコンを買い替えることを許してもらいたいものである。