明日1月17日、阪神・淡路大震災から22年になります。steemCreated with Sketch.

in #japanese8 years ago

明日1月17日、6000人以上が亡くなった阪神・淡路大震災から22年になります。

1995年1月17日午前5時46分、大震災を引き起こした兵庫県南部地震が起こりました。

地震の規模を示すマグニチュード(M)は2016年4月16日発生の熊本地震と同じ7.3、神戸市や淡路島の一部地域では震度7を記録しました。


戦後初の大都市直下型地震で、生活もなにもすべてが崩壊しました。横倒しになった高速道路や、高架とともに崩落した電車など、テレビや新聞で見た方も多いかと思います。鉄道や道路などのインフラの復旧にも長い時間を要しました。


私は兵庫県西宮市で生まれました。この大震災では兵庫県神戸市に次いで2番目に被害が大きかった所です。

地震が起きた当時、西宮の生家には父と姉が住んでいました。あと近くの病院に祖母が入院していて、叔父が看病していました。

そして私と兄は、他の県で働いていました。


地震が起きた時、私は寝ていましたが大きな揺れで起きました。そしてテレビなどで情報を知った私は、出勤したものの仕事が手につかず、早退させてもらって安否確認を急ぎました。しかし直接電話はつながらず、親戚を通して、大丈夫らしいことが伝わりました。


しかし大変なことになっているだろうと思い、2リットルのミネラルウォーターを6本くらい買ってカートにくくりつけて引っ張って、電車が生家の近くまで一部開通したと聞いて、西宮へ行くことにしました。


既に兄が先に生家に到着していて、父や姉とも会うことができ、まずは無事を喜びました。しかし家を見て愕然としました。ガラスはすべて割れ、大きく傾いていました。

とりあえず片付けを手伝いました。


それから祖母が入院している病院へお見舞いに行きました。ミネラルウォーターを渡すと喜んでくれました。


片付けが1日で終わるわけはなく、夜は父が勤めていた会社の社宅に泊まりました。でもそこも古い建物だからか、少し傾いてしまっていました。


私は片付けにはあまり役に立てず、3日くらい滞在して自宅に帰ったと思います。


でもその後、父と姉にはつらい思いをさせてしまいました。その後私は会社をやめて京都に再び住みました。父は終の棲家を探すべく一時期大阪に住んだりしていましたが、結局西宮の被災者向け住宅に入りました。しかし父はまもなく癌を患い、手術をして、姉と私とで介護をしたのですがその甲斐もなく、70歳を待たずして亡くなりました。その後数年たって姉は自殺し、私は精神障がい者になってしまいました。


いつまでも、この地震と、自責の念は忘れることはないでしょう。


私は、被災し亡くなった家族を弔うために、まだ生きなければならないと思うし、まだ生きさせてほしい、と思っています。


どうか皆様、この寒い時期ではありますが、もし起きていたらでよいので、明日1月17日午前5時46分に、阪神・淡路大震災の犠牲者のために黙祷を捧げてください。


何卒よろしくお願いいたします。


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参考資料

阪神・淡路大震災の概要と被害状況

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/pdf/101.pdf

【特集】阪神・淡路大震災

http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/

阪神・淡路大震災22年 関連行事紹介

http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/22/201701/0009816842.shtml

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あまりにも悲しい話です。故人のご冥福を祈ります。

多分死ぬまで忘れられないでしょう。5時46分、黙祷します。

今日はアラームをセットして早く寝て明日に備えさせていただきます。

ありがとうございます。

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