人はなぜ、消耗品になるのか…?

in #japanese6 years ago

最近、兵隊を消耗品扱いすると国が亡ぶと言う記事を読んだので、その感想と記事には書かれていない、そうなる理由でも書いてみようと思います。

記事は第二次世界大戦の話でしたが、では今はそうでもないかと言うと、現実には人間は消耗品扱いです。
日本のニュースを見渡してみれば、やれブラック企業だサービス残業だ派遣切りだと、人員をコスト扱いしていかに使いつぶすか、多くの企業が考えています。
個人的な話を書くと、以前、某家電メーカで派遣として研究職についていたことがありますが、そこの役員から「お前の代わりはいくらでもいるぞ」なんて、とても素敵な言葉をいただいたことがあります。 …一応、リーマンショックの頃の、一部上場企業でのお話ですが。
前の、オリンピックの記事の時にも書きましたが、第二次世界大戦の末期とほぼ同じ状況なので、そう遠くない未来に限界は来ます。
さて、ではなぜそうなるのか?

前にも書いた成長曲線が関係してきます。
と言うのも、成長期の前半になってくると、商売で言うと物がジャンジャン売れる、物事が信じられないぐらいうまくいくので、そこにリソースがいくらあっても足りません。 当然、人も足りなくなりますので、ジャンジャン雇います。
それと、会社などでは営業も必要になりますが、それをサポートしたり商品を作り、発送したりクレーム対応するような定型業務を淡々とこなしてくれる、単純労働者が必要になってきます。
このころは競争も激しいので、人間間でいかに競争するかと言う心理が強くなり、人間が多いと言う認識が生まれます。

さて、成長期が後半に入ってくると、商売では思うように売り上げが上がらなくなり、これまでよりリソースを投入して何とか売り上げを伸ばそうとしますが、投入できるリソースにも限界があるので、経費削減をしないといけなくなります。
会社の場合、営業の経費削減を行うと売り上げが減ってしまうので(そう思い込んでいるので)、まずは商品を売るために発生する固定費…、定型業務にかかるコストを削減しようとします。
特に人件費は大きいので、現場の給料は安く抑えようとします。
それと、成長期の前半で活躍していた人々が出世して上に立っているので、彼らは競争の中で人が多いという認識を持っており、その認識を定型業務にも当てはめてしまいます。
定型業務は管理の仕事でもあるので、必要な仕事ではあるけど直接利益にはならないので、コストであるとして邪魔なものとして正当化してしまうのです。

これが、失われた20年の中で日本で起きたことでもあります。
特に、氷河期世代と呼ばれる世代は、バブル崩壊の影響もありましたが、それ以上に人数も多かったため、いくらでも代わりはいると、冷遇してしまいました。
残念ながら、会社を支えているはずの人々を、給料を奪う敵としていかに絞れるかをやってみて、気が付いてみたら会社を支えてくれている人々…、会社内で仕事をしてくれるのと、商品を買って応援してくれると言う意味でも、人がいなくなってしまったということです。

このように、人の価値も組織や歴史の流れの中で上下していきます。
今は、日本の場合では人の価値が最も低い時代だったので、今後、その認識も変わると思いますが…、ただ気がかりなのが、他国との経済競争を続ければどうなるかはわかりません。
もしかすると、ある所では人がないがしろにされるが、ある所では非常に大切にされる、そんな二重構造になるかもしれません。

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@my535 さん、こんにちは! @steemit-jpです。この度はあなたの投稿をJapan Daily Curation #83で紹介させていただきました。
@steemit-jp へのフォローと応援もお願いいたします。皆さんの力で日本のコミュニティをもっと発展させていただきたいと思っています。

コメントありがとうございます。 フォローさせていただきます。

兵隊と資本主義の話が絡んで面白いですね。派遣の下りは同じこと言われた経験があったので共感しました。おめーに人事権あんのか?と腹の中でケッと思ってましたが(笑)

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コメントありがとうございます。 今の情勢は椅子取りゲームになってしまっているので、こういうことを言ってしまいますね。

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