アニメだから表現できた現実と虚構のミックス――没後10年を迎える今敏監督作品を観よう

in #japanese4 years ago

『千年女優』では藤原千代子という、30年前に突然引退してしまった往年の名女優が、熱心なファンでもあった映像制作会社の社長と助手を相手に語る身の上や、出演映画に関する思い出話が、聞き手の男たちを映画のシーンへと引きずり込む。女優が必然的に持っていた役への執着であり、浅ましさを表現した作品だった。
 
その中で、戦国時代から戦中・戦後を経て月にまで、時空を超えて切り替わっていくシーンを果たして実写で撮れるのか? やはり難しい気がする。アニメだからこそ嘘っぽくあっても陳腐にならない。切り替わった画面といっしょにシチュエーションも変わる仕掛けの楽しさ、千代子の語る映画のシーンに紛れ込んで、戸惑いながらも取材を続ける男たちの珍妙さに酔える。突如切り替わる場面転換の文法にさえ納得できれば、あとはすんなりと、繰り広げられる時空の旅に入っていける。

この『千年女優』と同様に、夢の中で映画の名場面を突き進んだり、人間の頭からあふれ出した妄想が街全体を包み込んだりする『パプリカ』も、なかなか実写にしづらいアニメ映画だろう。

夢に入る機械が奪われ、悪用されたことで起こる事件に、昼間はクールな研究者だが、夜はやんちゃなサイコセラピストに変身するパプリカが追うというストーリー。前半は小説版に沿いつつ夢の世界のグロテスクな感じが、玩具の大行進というサイケデリックなビジュアルで描かれ、強烈な印象を残す。やがて事件の犯人らしき人物を追いつめたものの、その背後にさらなる黒幕の存在が見えてきて、追い掛けようとした矢先に事件は起こり、空前絶後のクライマックスへと突き進んでいく。

夢と現実の境界が曖昧になるエピソードは、騙し絵のような世界が繰り広げられた『千年女優』や、現実が妄想に浸食される怖さに震えた『パーフェクトブルー』とも重なる表現。加えて、事件の真相に絡むスペクタクルがエロティックなシーンとも相まって、感激と官能の昂揚感を観る人にわき上がらせる。そうした表現を、アニメならあっさりとやってのける。

いや、描く方は幾つもの場面を手がけなくてはいけなくて大変だし、そうした移り変わりをタイミング良く描いていくには、監督や演出の緻密な計算が必用になる。それらをこなして作り上げたアニメの映像は、見ている人を知らず幻影の世界へと引きずり込む。アニメだからできた。できるからこそアニメにした。どちらとも言えそうな判断だ。

唯一、『東京ゴッドファーザーズ』(2003年)だけは実写でも撮れそうな題材かもしれない。ホームレスとして暮らす元競輪選手のギン、元ドラァグクイーンのハナ、そして家出少女のミユキという3人が雪の日に、生まれたばかりの女の子の赤ん坊を拾ってしまったことから始まるストーリー。3人は、雪が降りしきるクリスマスの東京を歩き回って、赤ん坊の親を探そうとする。

ほぼすべてが現代の東京で進むストーリー。ロケでもセットでも再現は可能だが、それには降り続ける雪に埋もれていく東京を再現するだけの費用なり、時間が必用となる。雪で立ち往生する電車から降りて、雪に埋もれた線路を歩くシーンも、ロケではまず撮らせてもらえないだろう。セットでやっても、金に糸目をつけないハリウッドならまだしも日本ではアニメのようなワイドな感じは出しづらい。

ホームレスという素材が放つネガティブな要素が前面へと出て、見る人を引かせ兼ねない可能性もある。アニメだからこそ笑えるオーバーな演技も、実写では中途半端なものになりかねない。丸くなって驚くミユキの目なり、怒ったハナちゃんの顔は、実写ではやればやるほど嘘っぽくなる。

それに、『東京ゴッドファーザーズ』も、やはりすべてを描けるアニメだから描ける作品だ。描き込まれた冬の東京の街は、雑踏から公園から摩天楼から通勤ラッシュから、何から何までが見るほどに「東京らしさ」を感じさせてくれる。これについて、オフィシャルガイドの『東京ゴッドファーザーズ・エンジェルブック」で今監督は、「エレメント」の重ね合わせが見る人に「東京らしさ」を感じさせていると言っていた。同じことを実写によるロケで撮っても、果たして同じ空気感が出せたかは分からない。

絵描きがアニメとして企画した作品である以上、アニメとしてしか成立し得ない部分がある。今敏監督作品を見るときには、そこに注意を払っていきたい。

『東京ゴッドファーザーズ』は、脚本の妙も光った。ハリウッドの超大作は、物量で仕上げるビジュアルもさることながら、お金と時間をかけて練り上げられたシナリオが、観客をスクリーンに引きつけ続ける。それと同じような展開の面白さが、『東京ゴッドファーザーズ』にはあって最後まで気持ちを飽きさせない。

『東京ゴッドファーザーズ』では、『カウボーイビバップ」の信本敬子が共同脚本として参加した。信本は今監督の友人で、『パーフェクトブルー』の際にも依頼し多忙で断られたが、『東京ゴッドファーザーズ』でまたお願いするくらい、信頼を置いていた。『パーフェクトブルー』では代わりに村井さだゆきに依頼。上がってきた最初のプロットを「さすがである。クレバーにまとめられた村井氏のプロットに、私の目に狂いがなかったことを確信した」(パーフェクトブルー戦記より)と褒めつつ、さらに捻ってしまえと意見を出し合い、原作から大きく離れたシナリオに仕立て上げた。『パプリカ』では、今敏総監督によるテレビシリーズ『妄想代理人』でも組んだ水上清資が共同脚本として名を連ねた。

今敏監督のフィルモグラフィーにあって、唯一のテレビシリーズとなる『妄想代理人』(2004年)もまた、現実と虚構とが入り交じった複雑な様相を呈する作品だ。埋めたい悩みがある人間を、金属バットを持った少年が襲い、悩みを棚上げしていくような展開から始まって、仕事や虐めや貧困といった社会の問題をえぐっていく。

『千年女優』や『パプリカ』と同じ平沢進が奏でる、叫びで空間を引き裂くような音楽が、現実を不安定にして心をざわつかせる。NetflixやHuluでイッキ見が可能なシリーズ。この機会に見て今敏作品ならではの特徴をここからもつかみたい。

そして、2020年8月24日の没後10年という日に向けて、『パーフェクトブルー』、『千年女優』、『東京ゴッドファーザーズ』、『パプリカ』という4本の映画、『妄想代理人』、『オハヨウ』という短編アニメーションが映画館で上映され、テレビで放送され、ネットで配信され、パッケージから再生されて、それらを見ながら、世界中のファンとともに、今敏監督の偉才を偲びたい。

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