この邪悪な時代の神
この邪悪な時代の神
アメリカ合衆国インディアナ州ジェファーソンヴィル市
65-0801M
1No Record.
2頭を垂れて祈りましょう。愛する天の父よ、我々は信じることができることで今朝も心から感謝いたします。なんじの子、イエスの流された血によって、我々は彼の恵みにあずかる者であり、また彼が従順に十字架の死を受け入れたことにより、神の娘?息子になることができます。彼とその復活を信じることによって義とされます。今、聖霊があまねく我々の心の中に流れています。
我々が今朝、歌や証言、詩篇や御言葉を読むことで思いを表わし、我々の思いや崇拝の気持ちを分ち合うためにここに来る機会を下さった事に大変感謝いたします。今、聖霊が、このときのために定められたメッセージを伝えて下さるように、真剣に祈っております。主よ、どうぞお与えください。我々が今日ここに来た事で良き事がありますように。我々がこの建物を出る時、みなさんがエマオという村へ行っていた弟子たちのように、「今朝お話しになった時、お互いの心が内に燃えたではないか」と言うように祈ります。永遠の神よ、主イエス?キリストの名によって、これらの事をお与えください。アーメン。(ご着席ください。
この礼拝堂にいる友人たち、そして西海岸から東海岸まで、北部から南部まで電話で接続している全国の友人たち、皆様お早うございます。
ここインディアナ州はすてきな日です。わずかに曇り涼しく感じられますが、非常にいい天気です。大会堂は構内には満員で、人々は外にあふれています。今日主が我々を訪れてくださることを期待します。また、あなたがどこにいるとしても、神が素晴らしい一日を与えられますことを祈ります。主が与えて下さったのですから、それは良い日です。どんな天候であっても、それは良い日です。我々はここに来る事ができて、とても幸せです。イエス?キリストを信じていると世間に表す機会があり、とてもうれしいです。我々はあらゆる機会に、主が我々にして下さった事と彼の愛を表わしていきたいのです。
3今日はまず、少し前に決定された事の報告があります。そして、次にお話したい事が多少あります。 まず、昨夜の執事会会議に関する報告があります。この教会の執事、我々の素晴らしいコリンズ(Collins) 兄弟は、アリゾナ州に引っ越したので、彼がいない間、彼の代わりに執事会はチャーリー?コックス(Charlie Cox) 兄弟を任命しました。
チャーリー?コックス兄弟はこの教会の執事会によってコリンズ兄弟のいない間、コリンズ兄弟の代わりに任命されました。
4次に、今晩の治癒礼拝式の前に帰られる方もいらっしゃるでしょうから、先にお礼を申し上げておきます。すてきな贈り物や記念品などをいただきました。皆さんに心から感謝いたします。我々がここに来てから、たくさんの食べ物をいただきました。妻と私と家族とは本当にありがたく思っています。私は多くの問題を抱えて忙しくしているため、時々お礼を言うことを忘れます。頭がいつも多くの問題で錯綜しているのです。この教会だけではなく、世界の人々の問題について少し考えてみれば、皆さんも分かりますよね。それで私はいつも混乱しているのです。
どなたかが赤ん坊の献児式や洗礼式について話していましたが、それは非常に良い事です。私ができれば良いと思いますが、ほかの事と重なり、それを行う時間がありません。私は今朝お話するメッセージに精神を集中しなければなりません。聖書によれば使徒たちがこのように言いました。「そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たちを捜し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせる」。息子のビリー (Billy) と話したことがあります。
彼が、「パパ、今回は赤ん坊を捧げるつもり?」と尋ねるので、
「どうしようかね」と答えました。神に捧げ祈る赤ん坊がたくさんいるなら、日を別途設定し戻って来ましょう。つまり私はそれをしたいのですが。
5ところで、妻と私と家族一同は、心からみなさんに感謝しております。缶詰類?新鮮なインゲンマメ?スイカ?メロン?イチゴなど考えられるあらゆるものをいただきました。
先日素晴らしい兄弟と姉妹が、我々に大きい七面鳥を持って来てくれました。 まだそれを食べています。 私がここを去るまでに全部平らげようと思います。そうしないと、彼女はそれを持って我々について来てしまうでしょうから。ともかく色々いただいたことに深く感謝しております。私が知っている人々も多いですが、知らない人々もいます。家に帰ると、贈り物がいつも玄関に置いてあります。本当にありがたく思います。たくさんの人にお会いしましたが、まだの人もいます。ご存知の通り、できるだけ多くの人にお会いしたいですが、私は1人しかいません。全員にお会いすることができませんが、できるだけのことはするつもりです。
6主があなたがたと共におられますように。あなたがたと共におられる方がお一人います。その方はイエス?キリストです。彼なら、あなたがたと共にいる事ができます。遍在することができるのは神だけです。また、全能でおられますので、どんなことにも応じられるのです。全知である主は、みなさんが必要としている事もご存知です。
今朝ここに出来るだけ早く来ました。出来るだけ多くの人にお会いするつもりです。そうする事ができない場合は、全能の神はご自身の栄光の富の中から、みなさんが必要としているいっさいの事を満たして下さるでしょう。
私は手元のメモをあまり読むことができません。特別な告知のようなものですが、??ビリー?ポールがそれを書いたに違いありません。 彼は私に似ています。私は自分で書いたものが読めません。そのため独自の速記を作りました。あなたがたが私の書いたものを見たら、きっと読めないでしょう。橋を渡る星などが書いてあります。[ブランハム兄弟は告知を読み上げる。(編集者注)] 「アラスカから来たアデイア兄弟は直ちに礼拝堂の後ろに行ってペリー?グリーン牧師に会ってください。」はい、分かりました。
7お知らせしたいもう1つの事は、今晩の治癒礼拝式についてです。今晩、病気の人たちのために祈るつもりです。ご出席ください。
主イエスの名によって、全国の人々にあいさつを送ります。 今朝、神があなたがたを祝福して下さいますように。ある所では正午になる所です。ニューヨークではもうお昼になっていますが、西海岸のアリゾナ州ではまだ朝の7時です。ここはちょうどその中間です。この話を聞いているみなさんを、神が祝福しますように。
ここに来て、心に刻んだ事がありました、ホールの使用が許されなかった時に…
8最終的に許可は下りましたが、条件がついていました。礼拝は良いが、病人たちのために祈ることは駄目だというのです。残念ながらそれは私の聖職です。私は聖霊に命じられる事をしなければなりません。従って、それをお断りしました。聖霊の言う事は何でも自由にしたいからです。そういうわけで、狭いですが礼拝堂でもう1日我慢して行うことにしました。今朝は涼しいです。主が我々に晴れた日をお与え下さったことにとても感謝しています。
9さて私は、7つの教会時代と7つの封印との啓示を解いた後に、ヨハネの黙示録に書かれている最後の7つの鉢?7つのラッパ?7つの雷をお教えするためにここに来ました。それらをまとめて、我々が生きている時代との関係を明らかにするつもりです。しかし、それをするのに十分大きい場所を見付けることができませんでした。間もなくこの町かルイヴィル(Louisville)あるいはニューオールバニー (New Albany) で良い場所を見つけたいと思います。あるいはテントを張り、主が我々を導く限りそこにとどまることもできます。
ここでこの機会を捉え、私が確信し信じている神の存在についてお話し、それから我々が生きている時代について明らかにしていきたいと思います。それはある特定の人や信条などに向けたものではなく、神の御言葉について私が見たことに向けたものです。この前の日曜日の説教には聖霊が強く注がれました。それが非常に長い時間でした。そんなに長く説教するつもりはなかったのですが、もしかしてこれが最後の出会いとなり、次に会えるとは限りませんからね。昔のパウロのように、こう言いたいのです。「神のみ旨をみなあますところなく、あなたがたに伝えておいたからである」。イエス様は弟子たちに、隠しておいた事は何もなかったと言われました。私は聖霊に導かれてこの時代のメッセージを悟るのに忙しくて、外に出て、キリストの僕?聖職者としての義務を果たしそびれた事が時々あります。しかし、ありがたいことに、そんな私を手伝ってくれる何人かの聖職者たちがいます。
10さて、私はみなさんを引き留めようとするつもりはありません。全国でメッセージを聞いているあなた方が、今朝この教会のあらゆる所、側廊や子供部屋、屋外やラジオで聞いている人、バスの中やトレーラーの中、自動車の中等を見ることができたなら、問題が分かるでしょう。車の中で、あるいは電話で教会の礼拝を聞いている人が多いのです。なぜなら彼らは礼拝堂の中に入ることができないからです。人々が楽に座れるように、もっと広い場所が必要です。私がきわめて重要であると思うメッセージを伝える時には、皆さんはゆったり座り、メモをとる鉛筆や用紙やノートや聖書などを準備して、説教を聞いていただいた方が良いと思いますからね。さて、我々が生きている時代とこれから遭遇するであろう出来事について話を戻しましょう。みなさんには、この話が必要ですから。
11私あるいはどんな聖職者でも、今日もしくはどんな日でも、預言された時が近づいているこの時代に(私はその時を信じているのですが)、我々のような死にかけている人々にメッセージを伝えようとするためにここに来て、神の御言葉に反しているが、あなたがたを満足させることができるもの、あるいは聴衆を集めるなどのためのものを説教しようとしたら、私は偽善者になります。私はそうすることができません、私がここに来てそうするつもりはありません、なぜなら私はキリストの伝道師なのです。あなたがたに極めて重要であると思う事を伝えたいのです。それは自分の知識を見せびらかすことではなく、今日私が死んでも、明日はあなたがたの魂に結び付けられ、神に仕える続けられることを確固とするためです。
12さて、何か起きようとしています。私にはそれが分かります。アリゾナ州に行く少し前にジュニア?ジャクソン兄弟(BrotherJunior Jackson)が私の家にきて、彼の見た夢について話した事を覚えている方は多いでしょう。不思議な事でしたね。覚えていますか?主は我々にその意味を教えて下さいました。そして、それは文字通り起りました。ジュニア?ジャクソン兄弟は最近また別の夢を見ました。
次の話も不思議な事です。 先日オレゴン州からある人がここに来ました。彼は私をあまり知りませんでした。しかしジュニア?ジャクソン兄弟のように同じ夢を見て、それを私に話しにきてくれたのです。私はその夢の意味を解き明かすことができません。主をお待ちしています。それは神からの啓示であるからです。 それを覚えておいてください。 主はこう言われます。それは神からのものです。意味は分かりませんが、非常に印象的なものです。率直に言うと、あの2人の夢によれば…彼らの1人はバプテストあるいは長老派会員 (Presbyterian)であるかもしれません。今朝ここにいるかどうか分かりませんが、 彼は先日ここにいました。生憎、どこの人であるか知りません。
彼は泣きながらその夢を教えてくれました。彼はその夢で動揺しました。それを言うためにはるばるオレゴン州からここにやって来ました。ジャクソン兄弟も同様の目的で今朝ここに来ました。2人はこれまで会ったことはありません。離れた所に住んでいるにもかかわらず、彼らの夢の内容は同じでした。聖霊がまだその意味を知らせて下さらないので、私も彼に何も言う事ができません。けれども神は、何かをするおつもりでいらっしゃるのです。それは我々にとって素晴らしい事となるでしょう。
13さて、今朝のメッセージに当たっては、ガラテヤ人への手紙を読みたいと思います。これは説教ではありません。日曜学校の話です。 壁際に立っている方々と、立っている人をしばらく座らせてあげようとしている人は交替して大丈夫です。私はうるさく思いませんが、ただ敬虔にしてください。また子供たちが泣いたら、お母さんたちがあやせるように、どなたか子供部屋を出て隙間を作ってほしいのです。
さて、聖書の言葉をいくつか読みますから、書き取れるように鉛筆や聖書などを準備して下さい。これは強制ではありません。自由に話を聞いてほしいのです。私と意見が合わなくてもかまいません。私は、主イエスがこの時代のメッセージを私に与えられたと信じている人に対して、今何が起きていて、その起きている事が聖書でどのように示されているかを明かすため、今朝こうやって全国にむけて話をしているだけです。
14この前の日曜日に「最後の日における油を注がれた者」について説教しました。テープの聴取者であるなら、録音されたテープを入手して下さい。我々はテープを売ることが目的ではありません。メッセージを広めたいのです。 分かりますよね。 テープレコーダーを持つ人がいるなら、たくさんの人を集めてよくテープを聞いてください。
「油を注がれた者たち」 あなたは人々が起き上がってこう言うのを聞きます、「まあ、聖書によれば 『最後の日に偽預言者が起きて、大いなるしるしを行う』のよ」(それはまさしく聖書にあります)。ところで、それはどこに適用されるのですか。それは正確に適用されなければなりません。主のみこころであれば、今晩「御自分の御言葉の中で明らかにされる神」についてお話をしたいと思います。それは耳が適用される所に目は適用されないということです。分かりますか。例えば聖書全体を描くと、それ全体に描かれているのはイエス?キリストということと同様です。主のみこころであれば、今晩それについてお話をしたいと思います。そうでなければ後日にでも話しましょう。
15今、ガラテヤ人への手紙1章1~4節とコリント人への第二の手紙4章1~6節まで読みたいと思います。まず、ガラテヤ人への手紙1章1~4節:
「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス?キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、(すぐに止めて、ここに注意して下さい。使徒というのは“遣わされた者あるいは伝道師”を意味します)、
ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ。わたしたちの父である神と、主イエス?キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン。」
16次に、コリント人への第二の手紙4章1~6節:
「こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。
それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。(これは運命についてのお話でなければ、何についての話なのかがよく分かりません。)。
その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです(エデンの園と同様です。アダムとエバが命の木に触れないように、彼らを園から追い出しました)。
私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト?イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。
『光が、やみの中から輝き出よ。』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」(アーメン!その通りです)
17さて、今朝は「この邪悪な時代の神」というテーマでお話したいと思います。 聖書を読んだ通り、この世の神、この邪悪な時代の神… このメッセージはこの邪悪な時代の悪事を指摘し、またこの邪悪な時代について預言された事に合致しています。私は、聖書にはあらゆる時代の信者に対して、各時代の問題への解答があると信じています。我々が必要としているすべての事は聖書の中に書かれており、ただ聖霊によって解釈される必要があるだけだと信じています。どんな人であっても神の御言葉に自分の解釈を加える権利はないと信じています。神はその御言葉を解釈する者を必要としません。神ご自身が御言葉を解釈します。神が何か成すであろうと約束するなら、神は当然それを成就します。
私は何回も言いましたが、神は「見よ、おとめが身ごもるだろう」と、言われました。神は預言者の口を通してそれを語りました。そしておとめは妊娠しました。 誰もそれを解釈しなくてよいのです。初めに主は、「光あれ」と言われました。すると光がありました。誰もそれを解釈しなくてよいのです。神は終わりの時その霊をすべての人に注ぐであろうと言いましたが、その通り行いました。それは解釈を必要としません。 また神は最後の日に我々が見ているこれらの事件が起きると言われました。それは何の解釈をも必要とせず、すでに解釈されています。
18御言葉を勉強するとき、よく注意してください、我々が生きているこの邪悪な時代の神。 神が御名を負う民(主の花嫁)を選び出されているこの恵みの時代が、この邪悪な時代は同時に悪事の時代と呼ばれているのは非常に奇妙な事のように思われるかもしれません。神がその恵みによって御名を負う民を選び出されているまさのこの時代が、邪悪な時代と呼ばれています。主が話されていた時代がまさにこの時代であることを、聖書によって証明されるでしょう。
このような邪悪な時代に神がその花嫁を選び出されることは、考えても非常に不思議な事です。神は教会ではなく、民を選び出されるという事に気付いていましたか?なぜですか?彼らは教会とも呼ばれているが、主は彼らを民とお呼ばれになります。 教会は異なった性質の人々によって構成されますが、神は個人としての人を選び出されます。主は「メソジスト教会やバプテスト教会やペンテコステ教会などを選び出すであろう」とはおっしゃいませんでした。神は民を召すであろうと言われました。 何のために?御名を負うためです(分かりますね?)。民ですね。 それはメソジスト教会の1人、バプテスト教会の1人、カトリック教会の1人、ルター派の教会の1人という事です。主は集団としての教会ではなく、運命により御名を受け入れ、御名のために従事し、神と結婚しようと神の一部となろうと思う、御名を負う個人を選び出されています。男性が自分と結び合うために運命づけられた適切な妻を娶るように、キリストの花嫁は主と結び合うためにあらかじめ定められたものなのです。分かりましたか?まあ、聖書はそれほど中身が濃くて、蜂蜜に満ちています。
19注意することは、誰かが言ったからとか呼んだからではなく、最後の時代に人々を召されるということは、天地が造られる前から神がお決めになっているという事なのです。つまり組織ではなく、御名を負う人々を選ばれるということです。神はこの邪悪で惑わしの時代にそれを実行しているのです。
先週お話したマタイによる福音書24章によれば、それは最も惑わす時代です。エデンの園から今日まで、他にこのように惑わす時代はありません。にせ預言者たちは起こり、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば選民をも惑わそうとするのです。選民は決して、人間が作った神学を基とする冷たく形式的でこわばった教会には注意を払わないでしょう。しかし、それは本物とたいへんよく似ています。ただちょっとした言葉を無視しただけです。神様はこの時代にとても素晴らしい時を約束されました。キリスト教徒たちよ、どこにいても自分たちが生きている時代には気を付けなさい。メモを取ったり聖書を読んだりしながら、よく聞いてください。
20なぜ神はこの邪悪な時代から御名を負う人々を選び出されるのでしょうか?その理由は、主は花嫁に試練を受けさせになるためです。花嫁が現れる時には、悪魔に試みられ、苦しみの試練を受けるでしょう。証明され、悪魔に証明されます。初めにあったように、最後の日にも同様な事が起るのです。
種は始め地に播かれ、芽を出して茎を伸ばして成長していきますが、最後は始めのように地に播かれた種となってしまいます。迷いの種も始めエデンの園にまかれたように、最後の日には、同じように惑いの種になってしまいます。福音がローマのニカイアで宗派として設立されたように、終わりの日には巨大な組織になってしまいます。主の教会の種も、しるしとわざとを行い、また生けるキリストが彼らと共にいたことで始まったように、最後の日にマラキ書4章の聖職に導かれて、かつて伝えられた最初の信仰に戻るでしょう。
21さて、この邪悪な時代は、花嫁がエバのような女性ではないことを悪魔に証明するときだと私たちは分かっています。花嫁は神の御言葉によって試されるでしょう。 アダムの妻も御言葉によって試みられました。アダムの妻は御言葉をすべて信じていましたが、1つの約束だけ(『主は昨日も、今日も、いつまでも変わることがないこと』)を混同してしまいました。エバは敵の誘惑に乗って、この1つの約束を間違えて捉えてしまったのです。さて、神の御名を負う人々はもちろん主の花嫁です。この花嫁は、宗派の真理などではなく神のあらゆる御言葉によって、同様の試しに会うことになります。
聖書の初めに、人は神の御言葉で生きるものです。しかし、後でサーパントと呼ばれた動物にいた悪魔と呼ばれた人によって、誤った解釈をされてしまいました。この動物にいた悪魔がエバに話かけ、彼女に御言葉を誤って解釈し、そしてエバは堕落してしまいました。すべて聖書どおりの御言葉でなければならないのです。
22聖書の真ん中で、イエスが来ました、悪魔に試みられたイエスは、「人はパンだけで生きるものではなく、神の一つ一つの言で生きるものである」と言いました。神は、最後の日にこの世の神が起きると我々に教えて下さっています。御言葉に書き加える者、あるいはそれを取り除く者がいれば、その人の受くべき分は命の書から取り除かれます。どうか、神が我々を哀れみますように。頑固でえばりくさり、高慢なうえに知ったかぶりをすることは止めましょう。かつて我々も神様に不服従でしたから。恵みと哀れみと心の中の神に対する愛をもって、謙遜に恵みの御座の前に来ましょう。
不思議ですね。福音が伝えられてからおよそ1900年が経つ今日の世界の体制は、主がここにいらした時代よりさらに邪悪になっています。世界の体制はさらに邪悪になってしまいました。世界はクライマックスに向かっています。皆さんはわかっていますね。主はその御言葉をすべての方面で成就しているのです。
23昨日私は立っていました...その小さな相棒がしないように願います...彼はしないでしょう。昨日妻とウッド夫人と、ここのどこかに座っているロイ?ロバーソン兄弟とウッド兄弟と一緒に、ウッド姉妹の小包を受け取るため、ここのヤングスタウンショッピングセンター(Youngstown Shopping Center)に立ち寄りました。我々がそこに立っていると、知らない若者が私のところへきて自己紹介を始めました。また、もう1人の若者が寄って来て、彼らは2人ともアラバマ州から来たと言いました。ジョージア州だと思います。なぜなら私は彼らがウェルチ?エヴァンス兄弟(Welch Evans) を知っているか尋ねましたから。 我々は数分話をしました。そして私が去ろうとすると、この若者が私を見ました。もう一人の若者はその小さい息子と共に歩いて立ち去ったとき、この若者が私を見て、「一つお話したい事があるのです」と言うので、私は「君は信者ですか、キリスト教徒ですか」と尋ねました。彼は「違います」と答えました。彼は言いました...
24彼が言った言葉を正しく引用しないかもしれませんが、彼は少し懐疑論者であると思います。 主の使いが現れることについて彼に質問すると、彼はそれについて聞いてはいたが、教会に行ったことがない、この教会に行ったことがないと言いました。私は「君はそれを信じますか?」と尋ねました。
彼は、「はい。 私は今までずっと何かのことに注意を払っていました。人が預言について私に話してくれましたし、あなたがカリフォルニア州が割れるであろうと預言したテープを聞きました。私は新聞でそれを見た時に信じるようになりました。だから今日か明日(それは今日です)初めて教会に行きます」と言いました。
私は「主は君を祝福しますように」と言って、そして彼の手を取り握手しました。
彼は、「しかしあなたにお話したい事があります。私は救いようの無い者なのです。 砂丘に落ちたコインのように自分を見失ってしまいました」と言うのです。
私は、「けれども君はその状態にいなくてもよいのです。 君の用意ができたら、君を見つけ出し救うことができる者がここにいます」と伝えました
彼が、「用意ができました」と表明したので、私は「頭を垂れてください」と言いました。
彼は「私は恥じていない」と言いました。それだけではなく、彼は駐車場の人々の前で跪きました。通りかかった人々が彼を見ていくなか、彼はその心を神に捧げるまで私と一緒に祈りました。 彼は罪人として来ましたが、神の子として戻って行きました。死人として車の横に歩いて来ましたが、生きている者として戻ったのです。
私は「明日、洗礼槽の用意ができるでしょう」と伝えました。
とうときいずみあり、そのうちより
エマヌエルの血ぞあふれながる、
つみになやむものくぐりいらば
けがれはあらわれしみはけされん;
私は、「立ち上がり御名を称え、イエス?キリストの名によってバプテスマを受けなさい。神は君に聖霊を満たし、これらの大きなことをお与え下さいます。そして君はそれを分かることができます」と話ました。
25それは何でしょうか? 世界はクライマックスに向かっています。なぜでしょうか? 聖書に書かれたように、無法で道徳の乱れた科学的な宗教の霊が、世界をあらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつにしたからです。ヨハネの黙示録18章でそれを読みましょう。このポイントを話す前に、ヨハネの黙示録18章1~5節を読みましょう。もうすでにマークしてあると思いますが。
この後、私は、もうひとりの御使いが、大きな権威を帯びて、天から下って来るのを見た。地はその栄光のために明るくなった。
彼は力強い声で叫んで言った(「さあ、 夢を見た人たちよ…)。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。
それは、すべての国々の民が、彼女(教会!)の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女と不品行を行ない、地上の商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。」
それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。
なぜなら、彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神は彼女の不正を覚えておられるからです。
26これはなんという警報でしょう.それは実に教会を黙示録3章14節に書かれたラオデキヤ教会時代に戻らせています。その教会は無法でとても信心深い、しかし無法なのです。「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身があわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない」。これは完璧にこの時代に当てはまるのです。これはダニエルの時代のためではなく、ノアの時代のためでもなく、しかしこの最後の邪悪な時代についての事です。
ここで注意してください。『あなたは裸な者である』!この事を心に深く染み込ませてください。この考えについて私と意見を異にする人たちがたくさんいると思います。しかしこの時代、キリスト教徒は、「肌を露出した女性たち」に満ちた邪悪な時代に入らずに外出することは難しいまで事態は進行したのです。
27女性たち、これから言いますので、これから言うことを聞いてほしいのです。そして男性も女性も、私と意見が違うかもしれませんが、私はこのことを言うのに導かれていると感じるのです。裸に近い服を着ている女性は、健全な精神状態ではないことをご存知でしたか?彼女がそれを信じるかどうか、思っているかどうかに関係なく、彼女は売春婦だとご存知ですか。女性は神の前にその手を上げ、夫以外の男性に触れられたことがないと誓うかもしれません。またそれは率直な真実であるかもしれません。しかし、それでも彼女は売春婦です。イエスは、「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」と言いました。多分女性は…
見てください、聖書によれば、彼女は裸であるが、そのことに気づいていません。彼女にこのような事をさせる霊は悪霊?売春婦の霊です。彼女の表面、身体、肉体は清らかかもしれません。彼女は姦淫を行わないと神に誓って、また彼女は姦淫を行わなかったかもしれませんが、彼女の霊は売春婦の霊なのです。彼女はこのファッション界の神に盲目にされ、挑発な服を着て外に出てきたのです。
28先日、私はウッド兄弟と一緒に川でボートを漕いでいました。川は家からほんの数分のところにあります。ところが行く所どこでも、いわゆる「ビキニ」か何かの小さい布をつけた女性たちがいました。何と恥辱なことでしょう!正気の女性ならだれもそのようなものを着ないでしょう。彼女は売春婦の霊に取り付かれています。さてご婦人方、あなた方は神と共にそれを解決しなければなりません。なぜなら、あなた方はいつかそれが真実であると分かるからです。
ご婦人方、あなた方はあなたの体が神聖であることをご存知なのに、なぜ道路を歩いている好色で罪深い悪魔たちに肌を見せるのですか?すべての神の子たちが今も神の子であるなら、またあなたの夫が神の子であるなら、彼はあなたがきちんとした服を着るように言うか、あるいはあなたと別れるでしょう。また、少年が神の子であるなら、決してこのような女性と結婚はしないでしょう。ほらね。あなたは、「何てうそのことを…」と言うかもしれません。いいえ、私はあなたに真実を話しています。 いつかあなたにも分かる日が来るでしょう。 裸な者、姦婦であることに気がついていないのです。
「ええ、私は夫に立てた誓願を、決して破らなかったことを誓います」あなたがそれをしたなら、夫はあなたを裁くでしょう。しかし、神はあなたの内にある霊によってあなたを裁くでしょう。 あなたの肉体ではなく、しかしあなたの霊、その内なる人によってあなたを裁くでしょう。
29外なる人とは6つの感覚、というよりは五感に支配された物理的なものです。内なる人は、良心や愛といった5つの感覚に支配される霊的な存在です。外なる人は、視覚?味覚?触覚?嗅覚?聴覚に支配されています。しかし霊の内には魂があり、それはある一つのもの、あなたの自由意志に支配されます。あなたは悪魔が言うことを受け入れるか、あるいは神が言うことを受け入れるか選択ができます。どちらを選ぶかで、あなたの内にどんな霊がいるかを決めるでしょう。それが神の御霊であるなら、世にあるものではなく神から与えられたもので養われるでしょう。イエスは言いました。「世と世にあるものとを愛する者があれば、神の愛が彼の内に入ってさえいない」。悪魔はあなたを騙した。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」
注意して御覧なさい。彼女が裸な者、淫らな者、そしてヌードであることが分かります。
30世界は今まで最も悪い時代にいるようです。ノアの大洪水の直前、世界が滅びる前を除いたどんな時代においても、決して女性はこのように振る舞いませんでした。イエスはそれについて言及しました。それについては、後で話しをしましょう。
神は支配することができなくなったのでしょうか、それとも他の者が支配することを許しているのでしょうか。よく分かりません。この質問に適する答えは…私の考えですが、今日世界には相反する2つの霊が存在し、それらが作用しているのです。 2つ以上の支配者がいるはずはありません。1つは聖霊の働きです。もう1つは悪魔の霊がこの最後の日で欺いています。ここで、私はこの事に基づいて我々の残りのテーマ?メッセージを話すつもりです。
312つの霊が存在します。1つは神の聖霊で、もう1つは騙している悪魔の霊です。 地球の人々は今その選択をしています。 聖霊はここにいて、キリストのための花嫁を呼んでいます。聖霊は、彼女にこの時代の約束された御言葉を証明することによって、それはキリストであることを示し、呼んでいるのです。指がこの時代に動くことになっているなら、指は動くでしょう。足がこの時代に動くことになっているなら、足は動くでしょう。 目がこの時代に見ることになっているなら、目は見るでしょう。分かりますね。 神の御霊は神の完全な像にまで大きくなったとき…我々が生きているこの時代、聖霊はここにいらして、この時代のメッセージを証明し、神を信じている人々がこの混乱から呼び出されるように動いています。悪魔の不道徳な霊は、始めにしたように神の御言葉を悪用し、いつものように誤りによって、その教会を選び出しています。もう一度種子の時代へ戻っているのがわかりますか。エデンから、もう一度ここにきています。
32さて、昔に戻って、他の時代に生きていた時、あなたがたは宗派信者でした。 あなたがたはどれかの宗派信者でした。 宗派の茎は一体どうしたのでしょう。それは枯れてしまいました。御霊はそれをずっと離れ続け、種をつけるまで前へ進みます。
見てください、双方の頭ともに試みをうけ、初めの頃の試みと一緒です。注意してください。決して、決して、決して、決して、忘れてはいけません。ヨハネ第一の手紙4章5、6節で、それは「偽りの霊」と呼ばれています。エバがただ立ち去り、「神を信じないわ」などと故意には言いませんでした。いいえ、彼女が信じたのは偽りの方でした。
悪魔は決して出てきて、「まあ、それは神の御言葉ではない」とは言いません。彼はそれが神の御言葉であると認めますが、神はそれをしないようにはっきりと言われましたことに、彼独自の解釈をそれに加えました。この事がいかなる結果をもたらすでしょうか。それは人々に偽りを信じさせて罰せられさせるような惑わす力を作り出します。読みたいのであれば、それは、テサロニケ第二の手紙2章11節に書いてあります。ここにたくさんの聖書の言葉がありますが、すべてを読むことはできないでしょう。時々1つを取り上げ、それらをあなたたちに与えましょう。
あなたがたがそれを不思議に思ったり、疑問に思ったりなどしたら、私たちはそれを書き留めて、あなた方が読みやすいようにしましょう。
33聖書の言う通り(テサロニケ人への第二の手紙2章1~12節)、惑わす力を作り出す、この滅びの子は現れ、自ら神の宮に座して自分は神だと宣言し、そして、惑わす力で人々に偽りを信じこませ、人々を地獄に落し込めるのです。それは彼がエバにしたと同様の事です。彼は決して御言葉は正しくないと言いませんでしたが、惑わす力を与えたので彼女は偽りを信じてしまいました。
惑わす霊は悪魔のものです。 悪魔は不従順の子らの中に今も働いています。 何に対して不従順なのか。今日の子らは何に対して従わないのか。初めにエバがしたと同様に、神の御言葉に対してです。そうです。それを読みたいなら、エペソ人への手紙2章までめくってください。読んだほうが良いと思いますので。あなたがたが急がないなら私はここで止めて読んでみましょう。エペソ人への手紙2章1~2節。
あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。(分かりましたか。不従順の子ら…)
34反キリストが当時不従順の幼児の中から始まったのであれば、それが反キリストという人間を率いる時、どうなるのでしょうか?それはなんと上手く人々を惑わすことでしょう。大人のほうが子供よりも、ずっと大きく世界を惑わすことができるのです。聖書が言うには、「不従順の子らの中に今も働いている迷いの霊」です。御言葉に従いません。.
注意してください。不従順の子たち?子供についてもう少し話しをしたいと思います。ご存知でしょうか、私は神の御言葉によって、ここにいる人は誰でも、以前はあなたの曾祖父の中に生きていたと証明することができます。そして、あなたの祖父、それからあなたの父親に移り、それからあなたが生まれました。聖書によれば(ヘブル人への手紙7章だと思います)、メルキゼデクは…アブラハムは王たちを撃破して帰った時、メルキゼデクにすべての略奪品の十分の一を与えました。しかしパウロは言いました。十分の一を受けるべきレビでさえも、十分の一を納めました。なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを迎えた時には、レビはすでにこの父祖の腰の中にいたからです[2]。アブラハムが何かをしたのであれば、レビは曽祖父であるアブラハムの中にそれをしたのです。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブは族長たち、レビの父となりました。ここで予定という完璧な絵が見えてきましたね。
35これらのメッセージで、すでにあなたたちに教えたことの中に強調したいことがあります。このメッセージは神が地上に来る夕暮れの光という事です。
注意してください、その人、つまりその獣は、地上に来て、世の初めから殺された小羊の命の書に、その名をしるされていない者を惑わすでしょう。
神ご自身のお考えでは…神という偉大な御霊は、最初が始まる前から神でした。 その時、あなたは神の中にいたことを知っていますか。あなたが今キリスト教徒であるなら、世が始まる前から神の中におりました。そのときがそうだったならば、すべての神性がイエス?キリストにまるごとかたちをとって宿っておりました。イエスが十字架で死んだ時、私は彼と共に死にました。なぜなら私はその時彼の中にいたからです。彼ははっきり現れた満ちみちている御言葉であり、我々が後ではっきり現れることを知っていました。我々は彼と共にカルバリにいて、彼と共に墓に葬られ、復活の際に彼と共によみがえり、主の御霊によって恵みの御座へ昇り、キリスト?イエスの中にいて、共に天上で永遠に座っています。
36自然生命の根源が伝えられ、父親から父親へ伝えられるように、キリストの命も同様に伝えられました。それは神が預言者エリヤの霊を5度お使いになった理由です。 それは何か? それは「遺伝」です。
ちょうどあなたの自然の命と特徴が父親の自然の受精から伝えられるように、天地が造られる前から、あらかじめ運命づけられた神の御霊も同様に伝えられるのです。そして、神の御言葉の全体が完全にイエス?キリストと呼ばれる人間の体に宿った時、その中で神は私の罪の報いを支払わせました[3]。それから復活の際、神は私を主イエスと共によみがえらせました。今、すべての悪霊を制する力と権威とを受けて、主と共に座につかせていただいています。ああ、神がお与え下さったものをただ信じることができたらどんなに良いのでしょう。しかし、そこの席についていなければ、あなたはそれを持っていません。また、そこで席についていても、それを信ぜず、行動することも怖がっているのなら、あなたは決してそれを使えないでしょう。けれどもそこに座っているのであれば、あなたはそれを使えるのです。なぜならあなたが行う事はあらかじめ定められているのです。
一方、聖書によれば、パロが立てられたのは、パロになるためです。[4]イスカリオテのユダは、滅びの子になるために立てられました[5]。
37さあ、我々が取りかかっているこれらの素晴らしい真理に注目してください。教会は神の御言葉が彼らを治めることを受け入れず、その代わりにバラバを受け入れたということが分かります。それはマタイ27章15~23節に書いてあります。この事はどんな結果をもたらしたのか。どんな立場に追い込んだのか。それをよく考えてください。教会界は彼らが公正で聖人と思っているもので組織化された生命の中にいて、人々の目にもそう映ったとき、彼らはイエスをはりつけにして、「この人に我々を治めさせてはいけない」と言いました。けれどもイエスは満ちみちた神の御言葉でした。ヨハネの第一の手紙に書いてあります。彼らは「この神の御言葉は我々を治めてはいけないだろう」と言いました。主イエスは御言葉でしたが、彼らは盲目で、その事実に気がつきませんでした。主イエスは彼の身の上で成就するはずだった各預言の直接の応答でした。今、我々は皆それを信じます。なぜなら私たちは過去を振り返ってそれが起こるのを見たからです。しかしもし、今のこの世界、今のこの邪悪な時代が過去のあの時に戻ったならば、人々も今と同様の事をするでしょう。なぜならそれはこの時代のためにはっきり現れている同じ御言葉であるからです。人々は同じ事をするでしょう。ほかのことをするはずがありません。 彼らは不従順の子であり、偽りを信じ、その事によって裁かれように惑わす力を与えられています。
38その頃、教会界は神の御言葉の表れであるイエスを受け入れませんでした。なぜでしょう。彼らは別の解釈の仕方があるからです。しかし、イエスはするであろうと神が言われたすべての事を行ったので、教会界は彼が御言葉であることを知って当然でした。イエスは彼らにこう言われました。「この時について、聖書の中に調べなさい。私が行うであろうと言われたことを行う資格がなければ、私を信じないでください。」
彼らは「我々はモーセを信じる」と言いました。
イエスは言われました。「あなたがたがモーセを信じたならば、私を信じたであろう。彼は、私について語ったのである」。彼らはそれでも理解できませんでした。天の神が十字架の上で死にかけた時に、彼が言うであろうと預言者が予告したと同じ言葉を語りましたが、人々はそれでも分かりませんでした。彼らはイエスとは違う種類なのでした。彼らは御言葉ではありませんでした。非常に信心深い人たちでしたが、御言葉ではありませんでした。なぜなら御言葉であれば、その時代に関するその位置を理解したでしょうから。
39聖書の言葉は、あらゆる時代で美しくつながっているのに注意してください。今注意してください。教会界は神の御言葉によって治められることを拒絶し、殺人犯バラバを受け入れました。それは何をもたらしましたか。この邪悪な時代の神なるサタンを、彼がずっと望んでいた地位に昇格させてしまったのです。聞いて下さい。サタンは、この時代以外、他のいかなる時代においても、神だなどと言われませんでした。彼はノア時代の神だと言われませんでした。モーセやエリヤなどの時代でも神だと言われませんでした。彼はこの邪悪な時代の、見損なってはいけません、彼はこの邪悪な時代の神です。何百万何十億という人々に拝まれていますが、拝んでいる人々はその事に気がついていません。
しかし今朝、聖書が彼の正体を暴くのです。さあ、見てみましょう。そうすれば、あなたがたは分かるでしょう。人の心中を識別する集会の時に聖霊が御言葉を通じて、ある人を呼び出し、そして言いました。「君はこの他人の妻と住む権利はない。何てことをした。10年前、あなたは他人の妻と駆け落ちしたのである。」それと同様に聖書を読んでみましょう。聖霊は何の目的でそんな事をするのでしょうか。悪魔の正体を暴くためです。その男性や他人の夫と同棲していた女性にかかっていたサタンや彼らが犯した罪や行った事は何でも暴露するのです。それは何をもたらすのでしょうか。サタンの正体を暴くのです。
40医者たちは器具を使い、どこが悪いか見つけだそうとします。 彼らは見つけだすことができません。 我々は教えられません。しかし、聖霊がやって来て明らかにし、サタンを暴露します。これが神の御言葉のなさることです。神の御言葉はやみの中に輝く光です。部屋で物音がすると、それは神秘に聞こえますね。たくさんのものが動いているようなのですが、あなたにはわからず、電気をつけます。すぐにコオロギやゴキブリが出てきました。これらは闇の子です。光が輝くとそれらは四散します。「彼らは私たちから出て行った。なぜなら、彼らは私たちに属する者ではなかったからである。」と聖書は言われます[6]。 分かりますか。彼らは、世の光の中で生きることができません。なぜなら、天の神は、御自分の子たちが闇の中を歩いてつまずかず、イエス?キリストの輝く光の中を歩いていけるようにと、その子の道を照らす、この最後の日に光をお送りくださったからです。イエス?キリストは、昨日も今日もいつまでも変ることがありません。アーメン。
4177注意してください、サタンは、この時代以外、他のいかなる時代においても、神だなどと呼ばれませんでした。彼は初めから神のようになりたいという野望を持っていました。それを読んでみましょう。時間をかけてみましょう。戻って見てみましょう。私は書き留めてありました、イザヤ書14章です。イザヤ書14章を開け、サタンが何を行ったかについて神が言われたことを見るようにしましょう。イザヤ書14章12と14節。注意してください。
暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々(神の子たちですね)のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
神のように礼拝されることはサタンの野心でした。彼は天の星の3分の2を連れて、それらの星の上に上り、それらに説教をして、そしてそれらの3分の2をだましました。分かりますか?大丈夫ですね。注意してください、それは彼の野心です。彼は今、彼自分の知識によって注意深く選ばれ、教育された花嫁を用いて(ほらね?)、全世界をだまして神になる(それは彼がすでに行った事です)用意ができました。彼の惑わしでできた大きな建物や宗派を飾り立て、飾り立てられた知識や神学、利口で、聡明な、そして教育された者。このすべては、反キリストという人物に集中しています。彼は、世俗を愛し科学的な花嫁によって、すでに神の代理人にとしてつかせられ、すべてが華やかな知性や神学教育に飾られました。また、彼女は悪魔と同じように敬虔で、悪魔はイブにしたように、また、悪魔の子カインもしたように、神の御言葉に対して独自の解釈をして、彼女を惑わしました。
42あなたは「悪魔の子ですか?」と訊きましたね。聖書の中でカインがアダムの子と呼ばれる所があれば、私に見せてください。逆に聖書によれば、カインは悪しき者から出ました[7]。彼はサーパントの子孫でした。みなさん、今真実を隠していたふたは開けられました。啓示が示しているようにピラミッドは開かれました。
彼が行う事や彼の考えに注意してください。 彼は神が世俗的な美の中に住んでいると思いました。 彼は天でそれを実行しました。罪はエデンの園で始まったわけではありません。それは、天で始まりました。黎明の子ルシファー(Lucifer悪魔) が美を求め、ミカエル (Michael) よりももっと美しい王国を欲した時に、天で始まりました。彼は神が美の中に住んでいると思ったのです。
カインの事に注意してください。 彼は血を伴ういけにえを奉げることはやりたくありませんでした。そこで、彼の祭壇の上に果物あるいは田畑の美しい物を供え物としました。非常に敬虔でした、彼はちょうどアベルのようにすべての事を行いました。彼は犠牲を奉げ、神の前に跪いて礼拝し、あらゆる点で従順であり、しかし御言葉の啓示を持っていませんでした。御言葉は最初から、神のご計画でした。神は、それが正しいということを証明なさったことを啓示によって明らかにされました。それは、単に宗教、祭壇、教会に属すること、犠牲を奉げること、誠実であることによるものではなく、神の御言葉からの啓示によるのです。神は彼に、彼の母親がヘビからリンゴをもらったことではなく、彼女が獣の形をとった悪魔と性的関係を持ったことを明かしました。その獣は、は虫類の動物ではなく、野原の生き物のうちで、最も賢くて最も狡猾の生き物でした[8]。それは人間のかたちをし、その種だけが人間のそれと結びつけられるのです。今、科学は彼を見いだそうとしています。しかし、科学者たちは決して彼を見つけられないでしょう、なぜなら、彼の体にあるすべての骨が変えられたからです。 聖書によればまさにその通りなのです[9]。
43今、この者がする事に気をつけてください。彼は自ら神の宮なる教会に座して、自分は神だと示すでしょう。もし読みたいのであれば、テサロニケ人への第二の手紙2章3~4節とヨハネの黙示録13章4、11と12節をご覧下さい。そこでヨハネとパウロという2人の預言者は、彼が最後の日にどうなるかについて語っています。さて…ここにメモしましたがので、みなさんは後でそれを読んでください、時間を節約したいので。
聖書の中で、我々が生きている日は「人間の日々」、人の日と呼ばれています。これは神の日ではありません。神はこの地球の神ではありません。聖書によれば、そうではありません。彼は天の神です。 けれどもこれは神の日ではありません。 これは選択の日です。今日のために生きて死ぬか、それとも神を選んで生きなさい。神は御言葉です。また御言葉というのは、現在とこの日のために明らかにされた御言葉です。
44注意してください、人間の日々。もし書き留めたいのであれば読みます、コリント人への第一の手紙4章1~5節にあります、コリント人への第一の手紙4章1~5節、すみません、コリント人への第一の手紙4章1~5節です。そこでパウロは、人間の日々において人間に裁かれることを語っています。
その日…「なぜそれを人の日と呼んでいるのですか?」とあなたがたは言うでしょう。それは人間の知識による業績が称賛される日です。共産主義者たちのすべての自慢を見てください。誰かが月に人間を行かせようとしています。 神は天国に人間を連れて行こうとしています。ほらね?彼らは無駄な仕事に何百万、何十億、何兆ドルまでも費やしています。彼らがそこに達する時、何も見いださないでしょう。彼らはどうしたのでしょう?私は別に月に行きたいとは思いません。私はもはや月が見えないぐらいにあっという間に月を通り越し、もっと高く昇りたいのです。銀河系を通り越し、上に昇り続け、昇り続けたいのです。そうなのです。
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