最初の種は神の仰せのことば
最初の種は神の仰せのことば
アメリか合衆国インディアナ州ジェファーソンヴィル
62-0318
1ありがとう、ネヴィル兄弟。休憩の間に洗礼を授けるのですね。友よ、おはようございます。ここにいることができて嬉しいです。今朝は早くから集会を始めました。いつものことですが、皆が座れるほどじゅうぶんの席がなくて申し訳ありません。ずっと立っているのは辛いですよね。それに今朝発表したように、今回わたしはたっぷりと時間を使いたいのです。長い集会になりますから、集会の途中で、席を譲り合ったり、交互に座りあったり、あるいは外にちょっと空気を吸いに行ったりして、まったく構いません。そうしたら席を交換できますから。
2今度作る会堂では、じゅうぶんな席を確保した広い建物を計画しています。今の教会では250人から300人分くらいしか席がありませんが、そこに100人多く詰め込んでいる状態です。わたしはここに来て、駐車場を探し回っている車を見かけました。やっと入り口にたどり着いても、ホールも壁もどこもかしこも、人がごった返して隙間もないくらい。それで帰っていく人もいます。主からのメッセージをすべての人に届けたいのですが。
3さて、お知らせします。12時までにお話を終わらせて、12時から休憩にします。各自で食事をしてください。この休憩時間に奉仕者やネヴィル兄弟らが、希望者に洗礼を授けます。各自食事をして戻って来たら、2時きっかりに午後の集会を始めます。
4今週はずっと祈っていました。もし、話したいことの4分の1、あるいは3分の1でも削らなかったら、とうてい終わらないでしょう。ですから、集会に来ていろいろと協力してくれたり、助けて、祈ってくれた皆さんに感謝します。
5わたしはさっき、ある老夫妻に会うことができました。何年にも渡って忠実な働きをしているキッド兄弟姉妹です。わたしが、立ち寄ってくれるようにお願いしたので、さっき寄ってくれたのです。わたしはちょっとでも会いたかった。
わたしが赤ちゃんの頃からずっと福音を宣教している先輩と語れるとは、何という特権でしょう。そして栄光ある、いにしえの福音は、道の終わりが近づくにつれてますます輝きを増しています。
6ここに置いてある祈りの布のためにも、あとで祈りたいと思います。さあ、頭を下げて祈りましょう。
7天の父よ、あなたは、「もしわたしが地から上げられるなら、わたしの元にすべての人をひき寄せよう。」と仰せになりました。私たちの人生の目的は、死にゆく世代の人々の中にあって、イエス・キリストが今も神の子であり、世界の救い主である事実を広く知らせることです。そのことを信じる人たちがいて、イエス・キリストを救い主として認めた何千もの人たちと、ともに生きていることを嬉しく思います。
わたしたちは、地上での生命が終わったら、別のいのちが待っていることを知っています。それはすばらしく輝かしいことでしょう。この世の苦労、この試練の地で経験する人生の暗がりなど数時間で過ぎ去り、今はただ軌道に乗るため、カウントダウンを待っていることを知っています。間もなく神のときが満ちるからです。長いあいだ引きとめられていた大きな腕が、やっと解き放たれることでしょう。そして神の教会は地上から離れて宇宙の彼方の地に移されることでしょう。そこには病氣も悲しみも老いも死も存在しません。主よ、だから今日わたしたちは集まってこれらについて思いを語るのです。
8この集会が、決して虚しいものでないことを感謝します。史上最大の事実として、神の子は死んでおらず、約束どおり、わたしたちのうちに永遠に生きておられることが、証明されているからです。わたしたちは世界を所有したり、何百年も若さを楽しんだりできるかもしれませんが、神を愛する人たちのために貯えられているときに比べれば、それが単なるいっときに過ぎないことを嬉しく思います。だから兄弟姉妹の注意を、かつてない、素晴らしい時刻が間近に迫りつつあるという事実に向けたいのです。主よ、そのときがやって来ようとしているので、わたしたちの心は燃えています。そのときのために準備を整えさせてください。
9ところで、一人ずつ狭い通路を入っていきます。仲間の一人を埋葬したばかりです。ベル姉妹は本人の希望で速やかに逝ってしまいました。あまりにもあっけなかったので、行って彼女のために祈る間もありませんでした。でも彼女の希望は、天に召されて、あなたがどれほど良くしてくださり、心に願うことをすべて与えてくださるかを確かめることでした。あなたは誰も取り残されません。そう約束してくださいました。
あなたを理解しない人々のために祈ります。あなたを理解するための心をお与えください。罪人に改心を、病人に神の癒しの知識をお与えください。おお神よ、聖徒らを祝福し、彼らの心をひとつに繋げてください。このテープが世界中の町や教会に届けられ、どうか、かつて誤解をしていた奉仕者の兄弟たちが、今度は理解しますように。そしてあなたの教会が準備を整えることができますように。
10そして主よ、あなたはわたしを母の胎内から取り出し、以来ずっと養ってくださり、こんにちに至っています。恵みによって、わたしが貫いてきた行動の理由を人々に説明することを、あなたが望んでおられると感じています。そうすることで、なぜ、あなたの僕が一風変わっているのかを理解してもらうことができますように。
父よ、この一週間、わたしたちが祈って調べて書き上げた聖句や本文や言葉を認めてください。どこであれ、それを聞くことのできる良い土壌に届きますように。それを聞いて、守って、育成することのできる良い土壌に。すべての賛美があなたに捧げられますように。イエスの御名によってお願いします。アーメン。
11会堂に入れずに車にいる人たちにお知らせします。装置をつなげましたので、ラジオをつけて1150に合わせてください。そうすれば車のラジオからメッセージを聞くことができます。
さて、これは•••テープの録音は始まってますか?
12さて、この会場や、テープが届くあらゆる場所にいるすべての友に対して、今までわたしが言ってきたことと、してきたことの説明責任を負っていると感じています。何度も人々から質問を受けました。「わたしたちの牧師は、なぜあなたはそうするのかと言っています。ブラナム兄弟、なぜそう言ったのですか?なぜそのようにするのですか?」さて、心から言いますが、すべてわたしがしてきたことは、知りうる限り最善の意図を持ってしてきました。そしてすべてわたしが言ってきたことは、心から言ってきました。目的があってしてきたのです。今朝は神の助けを借りて、わたしがしてきたことの目的と理由を、聖書を引用しながら説明したいと思います。
13多分ここには多くの奉仕者たちが座っていることと思います。そして多くの人がこれを聞くでしょう。じゅうぶんな時間があって、わたしがこれまで考えついたことと聖書を、照らし合わせてみることができればいいのですが。しかし兄弟の皆さん、あなたたちは、今まではわたしに反対していたかもしれませんが、わたしはここにいる、あるいはテープを聞くどちらの兄弟に対しても話しています。あなたたちは、わたしが正しいとして貫いている姿勢のために、まったく賛成できずにいたかもしれません。あなたたちには、違うと思うことに反対する権利があります。しかしこの朝、神の助けを借りて、わたしが貫いている姿勢の根拠を皆さんにお知らせできると思います。
14今まで何度も教会、教団、女性の服装、男性の振る舞いに対して厳しく説教してきました。そのことは、聖書が完全に支持してくれていると思っています。ですが、わたしは決して、誰に対しても、悪い感情を抱いたことはありません。神はわたしの心をご存知です。たとえ、誰かととてつもなく意見が違っていても、わたしはその人を愛します。神の霊がわたしにとどまっておられる限り、わたしは常に神の教会、神の民を愛します。彼らが何をしたとしても、彼らからどんな仕打ちを受けたとしても、関係ありません。わたしは彼らを愛します。
15昔モーゼという人がいました。人々は絶えずモーゼを、南部弁で言うなら、手こずらせていました。ぶつぶつ不平不満だらけで、いつもモーゼをわずらわせていました。しかし神が、「彼らから離れなさい、わたしはあなたを選んで新たな国民としよう。」と言われた土壇場のとき、モーゼは身を投げて神の怒りの道を塞ぎ、言いました、「彼らではなく、わたしを滅ぼしてください。」民衆は神とモーゼに反抗しており、モーゼは彼らを叛逆の民と呼んでいましたが、それでも彼らを愛していました。それで、「わたしを滅ぼして、彼らを救ってください。」と言ったのです。それはモーゼの内におられるキリストでした。
もし人が、どれほど反対を受けたとしてもそのように感じないのなら、その人の内にはキリストが欠如しているのです。わたしはそう信じます。もし人が、口先だけでなくて、心から、人間に対してそう思わないのなら•••
16あるとき、びっくりしたのですが、(ちょっとここで面白い話をしましょう)ちょうどシカゴの集会があったときに、黒人の男性がいて「ドクターブラナムに会いたい」と言い続けていました。彼は大きくて立派な帽子をかぶり、2.5センチくらいある十字架を胸にぶら下げ、礼服を奇妙にまとい、おかしな指輪やビーズなどを身につけていました。わたしは同僚のバクスター兄弟に、「彼を部屋に通してください。」と言いました。彼はやって来て腰掛け、言いました、「あなたをどうお呼びすればいいでしょうか。神父か師か長老か、あるいは別の敬称で呼ばれたいですか?」
わたしは、「もし好意をもってくれるのなら、兄弟と呼んでください。」と言いました。彼は敬意を表してわたしをそう呼んでくれました。それから彼の肩書きを教えてくれましたが、なんとまあ、彼の肩書きや教会名、その教会の役職などがズラズラとあり、紙に書いたら数行を要するところでした。
17しかし彼が言ったひと言は、わたしがいつも賛同していることでした。「ブラナム兄弟、わたしが関心を寄せているのは、」彼は、教会で興味のあることをつらつらと掲げていましたが、こう言いました、「わたしが関心を寄せているのは一つの種族です。それは人類です。」
それでわたしは、「それなら、握手しましょう」と言いました。人類のすべての人のために、あらゆる信条あらゆる人種のために、キリストは死んでくださったのですから、わたしの関心はそこにあるのです。そしていつも関心を寄せるように心がけてきました。関心、そうです。
18今日は説教をするつもりはありません。というのも、説明するのに少なくとも、多分、4、5時間かかると思うからです。ですから、2時間後に休憩をとって食事時間にしましょう。それから2時に•••2時前に戻ってきてください。きっかり2時に始めたいですから。できたら1時半くらいに席に着いてください。そうしたら時間通りに今夜出発できます。
夕方ジョージア州ティフトンに、明日の集会に備えて出発しなければなりません。説教の集会ですが、高校の講堂でおこないます。それが終わったら、わかりませんが、神が導かれる場所に出かけます。いろいろな場所です。アーガンブライト兄弟たちが海外から依頼を受けたので、西部を横切ってカナダに入って、世界を回って。しかしわたしは・・・
そのうちわかるでしょうが•••・わたしがやり終えた後、もし神が助けてくださって、神から受けたとおりにあなたたちに伝えることができるなら、集会が終わった時にはもっと理解してもらえると信じます。そう願います。
19それから、もし理解できなくて質問したいことがあったら、本を持ってきてください。もしテープレコーダーを持っていて自宅でテープを聞くことができるのなら、座って心を開いて—心を開くのです—落ち着いてこう言うのです、「主よ、わたしは心穏やかでいます。今からテープを聞きます。」聞いていて何か引っかかるところがあったら、テープを止めて聖書を調べてください。聖書でイエスは、「これらはわたしを証しするのである」と言われました。だから、聖書を読んでそれが正しいか調べましょう。
20さて、聖書を開いて•••(えっ、右の方?彼は別のマイクを使うよう教えてくれました。今朝はたくさんマイクがあるからわからなくなってしまいます。)さて、聖書の創世記を開いてください。今夜は黙示録で終わります。わたしはみことばを信じます。創世記1章の一部を読みたいと思います。もし記録を取りたい人がいたら、鉛筆と紙を用意してください。たくさんの聖句を引用しますから。わたしはいつも聖書を読んでいたいです。
初めに、神が天と地を創造した。
地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。
神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。
神は仰せられた。「大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。」
神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。
神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。
神は仰せられた。「天の下の水がひと所に集まれ。かわいた所が現れよ。」そのようになった。
神はかわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを見て良しとされた。
神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。
地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。
夕があり、朝があった。第三日。
21さて、今朝はこの題目、「最初の種は神の仰せのことば」で始めたいと思います。「最初の種は神の仰せのことば」これについて述べていきたいのです。さて、神が、「種類にしたがって芽ばえさせよ。」と仰せになったことに気づかれましたか? 何であれ、その種類のとおりに芽ばえなければならないのです。
神のことばは永遠です。神は無限のお方なので、ひとこと言ってから、それを改良することはできないのです。なぜなら神が決められたことは、すべて完全だからです。いったん神が仰せになったら、そのことばは永遠に生き続けます。決して死にません。なぜなら神だからです。神が死なないのと同様、神が仰せになったことばも死なないのです。それで聖ヨハネの1章を読みます。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。ことばは人となって私たちの間に住まわれた。」初めに神が永遠の目的を持って仰せになったことばが、その同じことばがやって来られて人となり、わたしたちの間に住まわれたのです。それは神のことばです。
22何年か前に聞いた話ですが、(確実な情報かわからないのですが)ある女性が、時計の文字盤の針を動かすためにラジウムを混ぜていたところ、舌でラジウムを舐めてしましました。その女性は死にましたが。何年か経って、検察か何かのためにとっておいた彼女の頭蓋骨を、何かの装置にあてたところ、ガラガラ音がして、死後何年も経っているというのにまだラジウムが彼女の頭蓋骨の中で活動していることがわかったそうです。ラジウムはずっと生きつづけるのです。
23神の言葉はずっと生きつづけます。聞いたところによれば、人の声を捉えることのできる装置を使えば、わたしが今日話す声は、1万年経ってもまだ空中で捉えることができるそうです。まるで、小石を池の真ん中に落とすようなものですよね。落ちたときにできた小さな波紋は、視覚では捉えられなくなってからも、池のふちを打つまで続きます。わたしたちの声の電波は、世界を何度もなんども回って伝わっているのです。だから自らの声が、自らを裁くことになるのです。わたしたちが語ったことが、証言となって立ち上がって、わたしたちを裁くのです。自らの声が、神の裁判の席で、耳の中にこだまするのです。神の偉大な装置は、語られたあらゆる声、すべてのつぶやきを捉えることができます。
24さて、悪い言葉を消去する方法が、たった一つあります。それは悔い改めることです。神にしか消去できないのです。もし消去されなかったら、それは永遠にあなたについてまわります。ですから完全なる神はご自分の永遠の声をもってそれを捕らえられます。そういうわけで、神の決断はすべて、完全でなくてはならないのです。神がいったん発せられた声は、ずっと響いていて最後の審判のときに再生されます。
25もしこれが理解できたら、あるいは理解しようとしたら、常にわたしが神のことばにこだわる理由をわかっていただけるでしょう。神のことば以外のものは、すべて消え去るのです。神は永遠で、神のことばも永遠です。わかっていただけるように、できるだけ長い時間をかけて話すつもりです。テープを聴く人のためにも話しています。聖書が神のことばであることを、皆さんは知らなければなりません。
26ところで、裁きのときは近づいています。神の声は、生きるものすべてに聞こえるよう発せられていますから、どこかで私たちに追いつきます。奉仕者はそれを受ける責任があります。この神のことばをすべての人が耳にするなら、この場でか、裁きの席でか、どちらかで聞くことになります。もし教会が神のことばなら、ローマ・カトリックの教えのとおり、わたしたちは教会の声を聞かなくてはなりません。しかし教会は混乱していて、ローマやギリシャなど、それぞれで教えが違っています。すると信仰の置きどころを、どの教会にしたらよいのでしょうか。
27ローマ教会が正しいのですか? ギリシャ教会が正しいのですか? それとも他の教会ですか? ルーテル教会、バプテスト教会、メソジスト教会、長老教会ですか? それぞれが違った教えを説いているので、どれが正しいのでしょう。西と東ほども違っているところもあります。しかしわたしの意見では、神の声が裁くのです。神の声は絶対に正しくなければなりませんから、それは完全な出処でなければなりません。しかし教団ごとにそれぞれ言うことが違っているなら、信仰の置きどころを見つけられません。
28言いたいことがわかってもらえましたか。ある人は、この教会に属さなければならないと言い、「唯一この教会に救いがある」と言います。これはカトリックの主張です。ルーテル教会がやってきて、彼らが道であると言います。メソジスト教会はまた別のことを言い、バプテスト教会は別のことを言い、ペンテコステ教会が別のことを言います。これでは混乱の集会のようです。しかも、聖書を持ち出すと、ある兄弟は「それは今の時代に当てはまらない」と言い、別の兄弟は、「それは単なる歴史だ」と言い、また別の兄弟は、「それは詩集だ」と言います。「教会には聖書のことばを変える権利がある。」と言いだす人もいます。それなら何を拠り所にできますか。いったい信仰の拠り所はあるのでしょうか。
29もしわたしたちが裁かれるとすれば(すでに裁かれているのですが)、何かによって裁かれるとすれば、それは託された神のことばによると信じます。もしそうでないなら、神は地上にひどい混乱をもたらす不正な神ということになります。哀れな人間の心はまごついて、どうしたらよいのかわからなくなり、こちらに属したり、あちらに属したりします。哀れな人は、正しい場所を探そうとしてこちらの教団の言うことを聞き、別の教団の言うことを聞き、こちらの方が正しそうと思います。それでいいと思った方に行きますが、また別の方に戻ったりします。どうすれば正しいのかわからないからです。しかし、神が何かを拠り所にして世を裁くとするなら、それは神のことばです。わたしはそう信じます。
30さて、兄弟の皆さん、こう言うのは、ここにいる兄弟だけではなく、世界中でテープを聞く兄弟に対しても話しているからですが、もう少し我慢してください。どこかに裁きが向かって来ます。ある人は、「キングジェームス訳」と言い、別の訳を唱える人もいます。今はスタンダード訳というのも作られています。
31もし神が至上最高の神なら、実際そうなのですが、永遠のお方ですから、ご自分できちんと、とり図らわなければならないのです。すべては神次第です。わたしが神のおられる天国に行きたいと願ったら、わたしが何をすべきかわかる場所を提供してくださのは神です。どこか信頼を置いて、「これがそうだ」と言える場所を。賛成してくれますか(衆:アーメン)。すべては神にかかっているのです。
32もしわたしが、「主よ、わたしはルーテル教徒です。」と言い、別の人が「わたしはカトリック教徒」と言って争っていたなら、かわいそうにあなたはどうしますか。もしカトリック教会が正しかったら、ルーテル教徒は誰も救われません。もしルーテル教会が正しかったら、カトリック教徒は誰も救われません。
信仰の拠り所となる場所がなければなりません。あなたがどう考えるかわかりませんが、わたしにとっては、聖書が絶対に正しい神のことばです。そして神は、みことばから点の一つでも抜け落ちないように、見張っておられると信じます。
33娘のレベッカが言いました。「パパ、学校では、この世界は何百万年も経っていると教えているの。聖書と矛盾していない?」
「とんでもない。矛盾なんかしていないよ。」
「でも、岩の構造や石灰岩の沈殿物なんかの研究で、何百万年もかかってできたと証明されているのと、神が天地を24時間で造ったと言われているのと、くいちがっていない?聖書の誤りを立証しているのではないの?」
わたしは言いました、「いいや、ちがうよ。神はモーゼに聖書を教えたとき、こう言われた、『初めに神は天と地を造られた。(まる)』どのくらい長くかかったかはわたしたちの知るところではないんだ。それから進んで、地上に種を蒔くときがやってきたんだけれど、とにかく、初めにと言っているあいだに何百億年も何兆億年も、永久の年月が経っていたかもしれない。しかし『神が天と地を創造された。(まる)』なのだよ。それで決着。それが最初なのさ。神には間違いがないのだよ。」偉大な説教者パウロは、テモテに、「聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。」と、言づけしました。心を開いて聖書を調べること、それがわたしの努めです。
34さて、わたしはみことばに対してそのような信仰を持っています。だから自分勝手に解釈できません。聖書が、聖書は自分勝手に解釈してはいけないと述べているからです。その箇所を今はっきりとお伝えできませんが、メモしている人は後で調べてください。確かペトロの手紙(2ペトロ1:20)で、勝手な聖書解釈を禁じています。
ですから霊感を受けた書き手が•••もしそれが間違いなら、他のところはどれほど間違っていることでしょう。すべて正しいか、すべて間違っているかのどちらかです。中間はありません。教会について、「でも教会では•••」と言うかもしれません。いいえ、教会を拠り所にするなら、どの教会が正しいのでしょう。わかりますか、信仰の拠り所となるところに戻らなければいけません。わたしにとっては、神のことばがそれです。聖書は、人のために立てた神のご計画であると信じています。ずっとそうでした。
35イエスは、聖書は成就されなければならないと言われました。聖書に書かれているすべてのことがです。さて、このことを覚えていてください。テープを聞く人たち、わたしはテープの終わりにもう一度、聖書は成就されなければならないということを持ち出しますから。クラスのみなさん、ちょっとこのことを頭に入れましょう。わかりますか。すべて聖書に書かれていることは、成就されなければならないのです。重ねて言いますが、成就されなければならないのです。もし成就されなければ、それは神のことばではないのです。それなら、もし神のことばでないのなら、わたしたちはどこにいるのでしょう。神のようなもの、あるいは自分たちがしたいものを手に入れよう。聖書が言うように、「食べて飲んで楽しくやろうじゃないか、どうせ明日は死ぬのだから。」ということになります。わかりますか。
36さて、もしそれが神のことばでないのなら、わたしたちは誰も救われません。でももしそれが神のことばなら、神は絶対に信用できます。神はすべての誉れの源泉、始まり、源です。すべての真理の源である神は、ご自分で言われたことを守られます。もしこれが神のことばでないなら、神とは誰ですか? 神はどこにおられますか? いったい、神はおられるのでしょうか?
37「ええ、ブラナム兄弟、神を感じます。」そう言うなら、異教徒も偶像に対してそう言っています。
旅行に出て、自分の目で見聞きすることには効果があります。
「だから、これは見てわかると思います。」
そうです。
「わたしはこのように変わったので、信じます。」
わたしもそうです。しかし異教徒も同じなのです。なんとアフリカ人の品行は•••アフリカの部族の中には、アメリカ人がクリスチャンと呼ぶのを恥じ入らせるほど、道徳と清潔を守って偶像礼拝をしている異教徒もいるのです。ですからそれが神なのかもしれません。わたしが言おうとしていることがわかりますか? 顔をじっと見つめると、覆わなければならない大きな丸があります。だから、戻ってどこかに信頼を置かなければなりません。
38さて、ルーテル教会の主張をとってみましょう。落第です。カトリックの主張は?落第です。バプテスト教会やペンテコステ教会の主張は?落第です。だからそれらに信頼を置くことはできません。聖書には、誰かを介してそれが真実であると証明されたこと以外は、ひとことも書いてありません。わかりますか。それは事実です。わたしがよくいうことですが、「多分わたしの信仰では、エノクが登ったところには登れないかもしれない。でも少なくとも他人の道を登ってはいない。」偉大な信仰は•••
39さて、こういう理由で、わたしは聖書を信じるのです。わたしが引用するのも聖書です。次に言いたいことは、聖書は矛盾しないと、わたしが信じていることです。これまで世界中を回って、聖書が矛盾していると主張する人に、それを実証できるか挑戦してきました。わたしを納得させることができるかと挑戦して来ました。聖書は矛盾しません。あなたが、聖書に矛盾しているのです。神は矛盾することがおできになりません。もし矛盾したら、神ではありません。もしこのことばが神で、しかも言うことが食い違っているとするなら、それはあなたが神と相反しているのです。もしそうなら、神はどこにおられるのでしょう。なんだかややこしくなってきました。
40もし神が、ご自分のことばに矛盾しておられるなら、わたしやあなたと何ら変わなくなってしまいます。神が矛盾出できるとすれば。しかし、みことばは、賢者や分別者の目からは隠されているのです。
だから、マタイ28:19の「あなた方は行って、あらゆる国の人々を弟子にしなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授けなさい。」という聖句と、使徒の働き2:38の「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を許していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。」という聖句が矛盾していると言う人がいますが、それは矛盾していません。
41誰でも、洗礼を受けるときは、父と子と聖霊の御名によって受けなければなりません。そして、もしイエス・キリストの御名を使わないのなら、父と子と聖霊の御名によって洗礼を受けたことになりません。あなたは名前に付随する呼称によって洗礼を受けたのです。これが正しい啓示でないなら、言いつけに従ってイエス・キリストの御名によって洗礼を受けたときに、聖書は間違っていることになります。もしもイエス・キリストが弟子たちに、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けるように任命したのに、弟子たちが、イエス・キリストの御名によって洗礼を授けてきたのなら、聖書は完全に矛盾しているといえます。でも、よく調べてみるとそうではありません。弟子たちはイエスが言われたとおりにしたのです。名前に付随する呼称ではありません。ずばり名前です。だから矛盾していないのです。
42人々が指摘する矛盾点を、ここに書き留めて起きました。どれだけその中から引き合いに出せるでしょう。この24年間、いえ30年近く、聖書の矛盾点を示してほしいと頼んできました。一つもありません。聖書には、真理が、真理だけが書かれています。だから信仰は聖書を、神が語られた聖書を拠り所とすることができます。聖書に解釈を加えてはいけません。ありのままに受け取るのです。個人的解釈をしないでください。
43これを聞いて感情を害する人がいても、わたしのせいにしないでください。わたしは、自分が信じていることと自分が貫いていることの理由を説明しようとしているだけなのです。わたしは世界に向かって、自分が貫いていることを明らかにします。これが信念だからです。
どんな言葉でも聖書に加えたら、それが誰であれ、罪を犯したことになります。その人は命の書から抹殺されます。黙示録22に、「誰でもこれにつけ加える者、この書のことばを取り除く者•••・」とあります。わたしは信条や教義などは信じません。でも聖書に書いてある神のことばは、神のご計画であると信じます。それ以外のことは罪であり、永久に廃棄されなければなりません。どんな人でもどんな信条でもどんな教団でも、みことばに点一つでも加えたり、取り去ったりしたら、永遠に滅ぼされます。神は過去のお方ではないので、書物を書いて人の手に渡し、それが混乱の元になるに任せ、最後に世界を、その書に則って裁くなどということはされません。その書を書かれた神は生きておられ、その書のことばの中に生きておられ、書かれたことばを実証されます。(テープを聞いて学ぶ人たち、この点をじっくり学んでください。この所見に注意してください。わかりましたか。)
44さて、創世記から始めて黙示録まで来ました。これらすべてが神のことばです。黙示録で、誰でもこの書のことばを取り除いたり、つけ加えたりする者は、命の書から取り除かれると記されています。あとで聖書を引用しましょう。黙示録1章です。
黙示録の1章は何を指していますか。みことばです。さて、みことばは永遠です。勝手に書き変えることはできません。足しても引いてもいけません。わかりましたか。手を加えてはいけないのです。神が目を光らせておられます。神のことばに何も足したり引いたりしてはいけないのです。神のことばは永遠だからです。さて、このことを念頭に置いて、わたしが言おうとしていることは、創世記から黙示録のあいだにあります。それは何とも混ざることがありません。
45さて、ここが意見が合わないところです。今から夕方5時まで、意見の相違を見ることでしょう。これが神の裁きの書で、私たちは神のことばに則って裁かれることになると信じる人は、どれだけいますか? 神のことばは足したり引いたりしてはいけません。それなのになぜそうしてきたのでしょう。さてそれについて触れていきます。なぜそのようなことが、野蛮にも行われてきたのでしょう。それを創世記から黙示録まで、別の時代から今に至るまでのあいだに答えを探してみましょう。
46テープを聞く人のために、ここではっきりさせておきます。みことばを信じる理由とみことばについて神が語られたこと、つけ足したり引いたりしてはいけないことについてお話ししましたが、これから難解な部分に触れていきたいと思います。調べた長い文脈を説明して、何が起こったのか知らせたいと思います。それで自分の信念にこだわる理由をわかっていただけると思います。
47みことばは、何とも混合することができません。今は交配の時代です。動物、とうもろこし、小麦、なんでも交配させて見た目をよくしようとします。しかしそれはよくない。腐敗です、生命がありません。死んでいます。繁殖できません。それは死んでいます。なぜなら、すべて地上に存在するものの最初の種類は、神が仰せになったことばから生まれたからです。
48騾馬は、異種交配によってできた雑種なので、騾馬同士で繁殖できないのです。神は馬とロバを造られました。それらをかけあわせると騾馬になりますが、雑種ですから繁殖はできません。(あとで、蛇の種に触れたいと思います。)それは繁殖できないのです。
49さて、今日の話のタイトルは「初めの種は神の仰せのことば」でしたね。マタイ24:35を開いてみましょう。イエスがなんと言われたか、そこから調べましょう。24章34節から始めます。どれだけこのことばが永遠かを確かめてみましょう。
「まことにあなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」
50さて、このことばを何かと混ぜることはできますか。今度は黙示録22章19節を読みましょう。なんと書いてあるでしょう。18節から始めます。
「私は、この書の予言のことばを聞くすべての者にあかしする。(創世記から神はみことばを語られたことを覚えていてください。)
私は、この書の予言のことばを聞くすべての者(それは司祭、教皇、司教、枢機卿などをです)にあかしする。
もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。」
教義とはなんですか。あなたたちが聞いている信条ってなんですか。聖書に書いてありません。すべての教団に弁解の余地はありません。
「また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、(同じことだとは言っていません。違うのです。)神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。」
51それが説教師であっても、生涯教会員であった人であっても、主教でも教皇でも、もし、この書からたったひと言でも取り除くなら•••イヴはたったひと言を疑ったためにすべての災難を招いたことをお気付きですか? 神が仰せになったことばの、たったひと言を、イヴは真実だろうかと疑ったのです。それが原因で、あらゆる病気、疾患、赤ちゃんの不幸がおこり、それが原因で、あらゆる病院を建てなければならず、あらゆる手術をせねばならず、あらゆる死に方をせねばならなくなったのです。ひとえに、ひとりが、たったひと言に疑いをかけたからです。
52イヴは何をしようとしたのでしょう、交配です。かけ合わせをしたのです。神が仰せになったことは、そのことばどおりに受け取らなければなりません。何とも交ざりあいはしません。イエスは言われました、「もしあなたにからし種ほどの信仰があれば•••」からし種は交配できないと聞いたことがあります。それは何とも交配できないのです。穀類なら交配できますが、からし種はできないのです。わかりますか。あなたにその種の信仰があれば、ひと言•••神のことばのたったひと言•••宣教師たちの多くが挫けてしまうのは、ここなのです。(これについてはあとで触れます。)彼らは「この聖句を信じます。」と言い、信じて受けたことは実行できますが、しかし別の聖句についてはどうでしょう?「言われたことをすべておこなう人は幸いです。アーメン。(わかりますか。)彼には、いのちの木を受ける権利が与えられます。しかし魔術師や犬ども不品行の者どもなどは外に出される。」とあるとおりです。
さて、ここにはいろいろな立場の人たちがいますが、わたしが用意している話は、実に、歯に絹を着せぬものです。だから姉妹たちには、ご理解を願います。
53さて、わたしが信じているのは、神のことばです。神が仰せになってできたものは、最初のものです。すべて神の仰せによって存在するようになったものは、最初のものです。最初のものでない被造物は、交配できます。イヴは最初にできた被造物ではなかったので、自分の種を使うことができました。彼女は人の副産物でした。神は、すべて整った完全な人を造り、そこから一部分を取り出して、人の助け手を造りました。
ロバと馬をかけあわせることはできますが、長続きしません。死に絶えます。原種だけにいのちがあって、生殖できるのです。理解していただけるといいのですが。最初の種には、いのちがあります。カルトや教団組織が滅ぶのは、そういうことだと思います。あらゆるカルトや教団が滅んだことを歴史が証明しています。そして蘇生しなかったし、これからもしないでしょう。彼らには再生する力がないのです。繁殖能力を持っていません。それでイヴの子どもたちは死にます。
54テープを聞く人が学ぶために、じっくりと時間をかけて話しています。急がないで時間をかけて説明したいのです。これから何が起こるかわかりません。神が来られるのを見る前に、わたしがこの世から取り去られても、このメッセージは残って語り続けます。真実です。みことばにとどまりなさい。
55さて、最初の種は、神が仰せになってできたことを覚えていてください。神はことばによって、地上にすべてを植えつけました。最初の種のままであるなら、自然に繁殖していきます。種を交配させるなら、廃れて終わりです。イヴは人類最初に交配をおこなったものです。あとでそのことを証明しますから、ここでテープをおしまいにしないでください。
56彼女は花嫁でしたが、交雑をおこないました。気づいてください。それによって死が入り込んだのです。神のことばと知恵を混合しようとしたことによって。わかりますか? そんなことをしてはいけないのです。たとえ説明する知恵があったとしても、ただ、「神がそう言われた」、それで決着です。「神がそう言われた」、それがすべてです。もし説明できないのなら、そのままにしておき、ただこう言うのです、「神がそう言われたのだからそのとおりです。」と。わかりますか。ただ「神がそう言われた」、それで決着です。
57さて、気づいてください。神のことばは、他と混ぜてはいけないのです。人が勝手に手を加えてはいけません。神はそのようにする者を罰せられます。神のことばは何とも混合できません。神のことばは独立しています。あなたたちの言葉による助けを必要としません。わたしたちは自分の言葉を使って話すべきではありません。神のことばで説教するべきです。神のことばです。
58ですから、本物のいのちは、本来の繁殖方法で自然に再生していくのです。よく調べてください、今聞いている人もテープを聞く人も。い・の・ちは、最初の再生方法でしか繁殖できないのです。始まりのときと同じ方法でなら、自然に繁殖していくのです。わかりますか。もし再生しないのなら、それは雑種だから絶え果てるのです。1代目で消滅するものもあるでしょう。無くなってしまうのです。気がつくと元に戻ってしまうでしょう。稔性(いのち)がないのは雑種だからです。
59創世記1:11で、神は、「種類にしたがって生じさせよ。」と仰せになりました。さて、神が言われると、そのとおりになります。常にそうです。「種類にしたがって生じさせよ。」種を交配させると超作物ができますが、何の超なのでしょう。聞いてください。ちょっとぶらぶらしましょう。(それについて説教することはできるのですが、話すのを控えているところです。)実証済みのように、種を交配させると超作物ができます。どんな種類の作物ができますか。偽の作物です。いのちはありません。
もろこしの交配種は、大きくて、実入りが良く、見た目も良いですが、命の種子を持っていないので、植えても芽が出ません。1代限りでおしまいです。イヴも同じで、交配種を生みました。こんにちのありさまを見れば、イブがもたらした交配種がよくわかります。これは神の目的ではありませんでした。ちょっと待っていてください。今考えています。
60かけあわせるとハイブリッド作物ができます。ハイブリッド作物は不稔性なので、再生できません。自然繁殖できないのです。なぜなら神がそう言われたからです。種類にしたがって生じなければならないのに、種を交雑してしまったのですから。
さて、教会の状態が見えてきましたか、話を教会のことに持って行こうとしているのです。交配種は、種類にしたがって生じることができないので、絶えます。なぜ? 交雑したからです。それはしてはならない行為です。死をもたらします。おしまいです。世代ごとにリバイバルが起きました。それはみことばを知る機会でした。おお、最高権威の神が裁判の席に着きます。ジョン・ウエスレーのグループが立ち上がります。するとコチコチに凝り固まったこんにちのメソジストたちが答弁するでしょう。ルターが立ち上がり、カトリック信者が立ち上がります。そしてエイレナイオスやマルティンやポリカルプたちの後ろの方に立って、神のことばを教義と配合した件で裁きを受けることになります。ルターのリバイバルの後に組織されたルターのグループも同じように答弁しなければならないでしょう。ジョン・スミスのリバイバルの後に組織されたバプテストのグループも同様です。アレキサンダー・キャンプベルも同様。そしてペンテコステも同様です。神は、聖霊が降った最初のリバイバルで、人々を召集され、みことばに結びつけようとされましたが、彼らは組織化し、そこにとどまってしまいました。そして教団を創り、いのちを失いました。
「でも彼らの働きをみてください。」
と言うなら、後でそのことに触れましょう。今は種を蒔いて問題提起をしているのです。それから後で、何が起こったかをお話ししましょう。
61そういうわけで、各世代にリバイバルが起こりました。神はひとりの人に、みことばを授けられます。するとその人は、神からのメッセージを同世代に伝えます。その人が舞台から去ると、誰かがそのメッセージを用いて何かと混ぜてしまいます。すべてが完全に後退して•••ここでちょっと話をやめたいと思います。急ぐ必要はないでしょう。元に戻ること。それがまさに、創世記の初めに起こったことです。神は人間という、神の作物をつくられました。それをイヴが交配させてしまったのです。それで何が起こりましたか? ですからイヴは裁かれるのです。
62ルターが話し始めます。他の者たちも、自分たちの言い分を述べます。続いてキリストが語られます。弟子たちが、そして預言者たちが話します。イエスはこう言っておられませんか、「あなたたちの先祖で、神から遣わされた預言者を迫害しなかった者があるだろうか」と。あるとき王が使者を派遣し、別の使者を派遣し、また別の使者を派遣し、そうこうして最後に王の息子を派遣したと、イエスは教えておられませんか。わかりますか。各世代が、神からの使者を受けとっているのです。なぜなら、エデンの園での初めの作物であるアダムとイヴから始まって、ずっと繰り返されているからです。彼らの半分は救われません。賢いおとめ、眠っているおとめ。半分は•••ある者はみことばを守り、別の者はみことばに手を加える。行ったり戻ったり、必死にそれを繰り返して今に至っています。神のことばと歴史的事実からそのことを証明しましょう。そうです。交配です。
63ハイブリーディング(交配)が初めにおこなわれたのは、エデンにおいてです。創世記の初めに起きました。そして、黙示録においてイエスの再臨によって、終決します。さて、正確に覚えてください。それが、リバイバルが世代ごとに起こる理由なのです。リバイバルによって人々は、神のことばを受ける機会を得ます。しかし、みことばをありのまま受ける代わりに、みことばに人の手を加えて、どこか別のところに行ってしまうのです。
64わたしが、神から与えられたと信じている使命は•••今日は少し個人的なことも言わなければなりません。皆さんとそして世界中に、そうすると伝えましたから。(わかりますか。)地上でのわたしの使命は、そう信じているのは、なんだと思いますか? やがて来られるみことばの先駆者です。やがて来られるみことばとは、キリストです。神のうちにおられるキリストが、千年のあいだ統治し、すべてを正しい状態に戻されます。彼がみことばだからです。わかりますか。
65それではヨハネの3:5を開いて、イエスが言われたことを確かめましょう。皆さんご存知の箇所ですが、テープを聞く人が間に合わないかもしれないので、ゆっくりめくって読みます。聖ヨハネ3章の5節です。3節から読みます。
「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』
ニコデモは言った。『人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。』
イエスは答えられた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。』」
66それは種のことを言っているのでしょうか。最初の種はすべて、神の仰せのことばから生まれました。そうです。イエスが語られたことばから、そのことを証明しようと思います。神の仰せのことばによって、最初の種はできました。それなら、人は生まれ変わらなければならないとはどういうことでしょう? 人の現状は、死んだ状態だからです。人は雑種なので、生まれ変わらなければならないのです。それはどういうことでしょう。イヴの犯した罪によって、人は罪の状態で生まれ、不正な行為によって形成され、嘘をつく世界に誕生します。初めから嘘つきなのです。どんなに賢く、教育が高くても、嘘つきにちがいはないのです。聖書がそう言っています。どんなに両親が聖人でも、人は生まれつき嘘つきなのです。人が真理を語る唯一の方法は、自分の口で聖書のことばを言うことだけです。それだけです。みことばに反していることは、すべて偽りです。どう取り繕っても、人は嘘つきに変わりありません。
ピシャリと言ってしまいましたが、神が言っておられることなのです。「すべての人が偽り者としても、神は真実な方である」とあるとおりです。このことばに反することを言ったり、他の人種のせいにしたり、他の世代のせいにしたり、何をしたとしても、人が偽り者だというのは事実なのです。だから生まれ変わらなければなりません。そうすれば、すべてのことばがわかるようになります。生まれ変わる唯一の方法は、いのちを生みだす神のいのちが、人の内に宿ることなのです。
67種が芽を出すには、水が必要です。種を蒔いても、土に水分がなかったら、ただの埃です。埃では育ちません。土に適度の水分がないと、種は芽を出して成長しないのです。そうですね。文字は殺すが、霊はいのちを与える。わかりますか。水分が必要なのです。神のことばは最初の種です。それを証明するために、ルカ8章を開きましょう。11節です。本当かどうか、聖書がなんと言っているか確かめましょう。ここで多くのことを語っているので、4節から読みます。
「さて、大ぜいの人の群が集まり、また方々の町からも人々がみもとにやって来たので、イエスはたとえを用いて話された。
『種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。
また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、枯れてしまった。」
68水分です。バプテストや長老派やルター派には水分がありません。
回心した人は、初めはキリストをまっすぐ見て信じます。そのうち教団が彼を縛り上げ、霊の水分を枯らしてしまいます。すると、彼は教団の人となり、死んでしまいます。バプテストだけではありません。ペンテコステも同じです。教団の言い分を信じないでください。多くの人はそうはしないとわかっています。でもちょっと待って。そのことを聖書でどう言っているか調べましょう。
69水分がなかったので、枯れてしまった。8章の7節から続けます。
「また、別の種はいばらの真ん中に落ちた。ところが、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。」
わかりますか。わたしは誰にも打撃を加えようとしているわけではありません。ただ思うに、クリスチャンビジネスマンやその他のペンテコステ組織の人たち、何百万ドルも費やして、立派な建物を建てたりしている人たち、この世の富は、神の栄光と霊を押しふさいでしまいました。窒息して死にかけています。この世の関心ごとの方が大きくなって窒息してしまいました。
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