母方の一族についてのお話

in #family7 years ago (edited)

すみません、今日はちょっと込み入った内容なので日本語のみです。

Steemit で見るネイティヴスピーカーさんの英語はすごいですねえ。「マーク・ザッカーバーグによるとベーシックインカムは私たちの将来」とかいうブログを読んでいて打ちひしがれました。英語というより、日本語でもこういう内容の文章を書けませんわ、はい。

先日ルキノ・ヴィスコンティ Luchino Visconti の「家族の肖像」Conversation Piece という映画の話をした時に私の母方の一族を思い出させるようなところがある、と書きましたが今日はその話です。自分用のメモです。

母の実家は岩手県一関市千厩町(せんまやちょう)にあるのですが、白幡神社という神社の神主の家です。Yahooで白幡神社で検索したら源義経が建立したと書いてあるではないですか!ちょっとびっくりです。あんな田舎にあるにしては立派な神社だなとは思っていましたが。日本の歴史をご存知ない方には何のことかわからないと思うので少し説明すると

源義経(みなもとのよしつね)は、平安時代末期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。幼名を牛若丸(うしわかまる)と呼ばれました。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となりました。その後、頼朝と対立し朝敵とされ難を逃れ奥州藤原氏の藤原秀衡を頼りました。しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てたとのことです。その最期は多くの人の同情を引き、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉、多くの伝説、物語を生みました。

さらに言うと義経の愛馬、大夫黒を生んだのは千厩町(名馬の産地として知られます。千の厩(うまや)というほどたくさん)とのことです。

白幡神社の画像を少しアップです。子どもの頃は母に連れられて夏休み、冬休みに遊びに行ったなあ。楽しい思い出がいっぱいです。これは鳥居。なつかしい。

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でこちらが本殿?行事の時は掃除を手伝いました。隣には社務所があり、さらに隣に神主の家。なんか大変そうです。

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たしかに義経によって建立されたようです。

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暗い話になってしまいますが、祖父の姉にあたる人が盛岡の師範学校に在学中にテストでカンニングした疑いをかけられて潔白を訴える手紙を残して自殺しているんですよね。その経緯は親戚の女性作家の方が「玉蕾」という本にまとめて岩手日報社から出しています。そういえば学校の先生が多い一族です。

60年代、70年代に入ると母方の下から2番目の叔父が東北大学の理学部に入って学生運動の委員長として活動し、「川内(東北大学の川内キャンパスのある所)のマルクス」と呼ばれていたそうです。まあ父はなんでも大げさに話す癖があるのでどこまで本当かは知りませんが。でも挫折してしまいました。ただ、スタジオジブリの高畑勲監督はあの頃の運動を挫折とは思わない、運動の高まりのおかげで日本中の職場に労働組合ができた、とおっしゃっていますが。叔父は最後は徐々に呼吸ができなくなる病気にかかって亡くなりました。かつての学友だったと思われる二人の方が葬式に来ました。

他にも寂しい亡くなり方をした一族の人がたくさん。祖父、祖母、母、母のすぐ下の弟・・・なんか呪われているなあ。

マルクスもいれば俗物の人もいる・・・ドラマになりそうです。他にもこういう家族っているでしょうか。

こういうことを書いたらよく調べれば私が誰かわかっちゃいますね(笑)。

千厩の思い出については別の機会にまた話します。今度は楽しい話を。

画像引用元

http://blog.livedoor.jp/tomozoh1003/archives/2016-12-22.html

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私も両親、祖父母はみな亡くしましたので、淋しい限りです。私も自分の生い立ちについていつか書こうかと思っていたのですが、なんだかまとまらないのでまた後日。

そうですか、淋しい同士、生きていきましょう。生い立ちはさらっとは書けないですよね。アップされるの楽しみに待っています。

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