従兄弟の涙
伯母が百歳の天寿を全うしました。
優しくて温かい人柄で、いつ訪ねても笑顔で迎えてくれる人でした。

かれこれ15年前になりますが、娘の成人式の振り袖姿を見てもらおうと伺った時もとても喜んでくれたのですが、
娘の着物の袖をずっと握ったまま、同じ事を何度も尋ねる伯母に娘が困惑していたことがありました。
思えばその頃から認知症が始まっていて、晩年は誰のこともわからなくなっていたそうです。
伯母は大きな旅館に生まれ、子供の時からの許嫁だった伯父の元に嫁ぎました。
嫁ぎ先は旧家でしたので、それなりの苦労もあったでしょうが、誰の目から見ても恵まれた幸せな一生と映るような生涯でした。
伯母は私の母の兄嫁にあたります。
幼い頃、里帰りする母に連れられてよく母の実家に泊まり、伯母にお世話になったものです。
一廻りほども年の違う従兄弟たちとは一緒に遊んだことはありませんでしたが、可愛がってもらった思い出がたくさんあります。

通夜に伺った時、従兄弟たちが思っていたよりずっと陽気で
「百歳まで生きたんだから、めでたいよな
でもオヤジにはもっと早く母さんを迎えに来て欲しかったなぁ」
と言っているのを耳にしました。
その言葉だけを聞くと、冷たい感じがするかも知れませんが、
私には、その裏側にある本心が聞こえるような気がしました。
伯母は認知症が進むに従って当然手が掛かるようになり、その介護の負担は同居していた長男のお嫁さんの肩に掛かっていました。
近くに住む従姉妹ももちろん時々は手を貸していましたが、兄嫁に申し訳なく思いながらも、お願いするしかない状況で
遠く離れて暮らす従兄弟は尚更心苦しく感じていたようでした。
母親が亡くなってめでたいなどという気持ちが湧くはずはなく、従兄弟たちも散々涙を流したはずです。
そしてその次に来たのは義理の姉への感謝とその労をねぎらう気持ちだったのでしょう。
「こんなに長く母を看てくれてありがとう。
今まで苦労を掛けて申し訳ない」
通夜の席でも葬儀の席でも、挨拶の中に
お義姉さんへの感謝の言葉を忘れない従兄弟たちでした。
優しくて、温かかった伯母が残していったのはこの優しい従兄弟達だとつくづく思いました。
帰り際の私に
「 俺は、いいおばあちゃんだったかあさんの呆けた姿を子供たちに見せたくなかったんだよ。呆ける前のおばあちゃんのままでずっと覚えておいてほしかったからね」
と言った従兄弟の目には涙が光っていました。
さっきまで一番陽気に振る舞っていた従兄弟でしたが、後悔する気持ちもあったのでしょう。
でも大丈夫!伯母はちゃんとわかっていて、あの笑顔でなにもかも許してくれるはずです。
私はただ頷きました。
#209
文章から伯母様の温かい人柄が伝わってきました。きっとこれからはその温かい気持ちでみなさんを見守ってくれるでしょうね。
私の祖父も認知症で私のことはほぼわかっていないと思います。それでも行くと喜んでくれます。大切にしなければと@sumiさんの投稿から思いました。
伯母はほんとに温かい人でした。優しい笑顔をいつまでも覚えておきたいと思います。
そのままの姿で孫たちの記憶の中に残したいと思った従兄弟の気持ちも充分理解出来ます。認知症って悲しいですね。
こればかりは仕方ないとはいえ、僕も祖母に同じような感情を抱きます。
認知症というのは死の恐怖を緩和するための機能とも言われているので、その機能が出てくるまで生きてくれてありがとうと思うようにしてますが…。
死の恐怖を緩和するためと考えるとなにもかもわからなくなってしまうことも救いとして受け止められますね。
私もそんなふうに考えることにします。
「私はただ頷きました。」という最後の@sumiさんの言葉が私は好きです。こういう時にただ聞いてあげることって本当に素敵なことだと思います。写真も素敵でした。
ありがとうございます。従兄弟は四人兄弟の末っ子で伯母に一番甘えていたように私には見えていましたので、気持ちがよくわかる気がしました。
人生の価値は自分が人生を去った後に決まると聞いた事があります。
@sumi さんの伯母様は亡くなられた後にそんなステキな涙を流す息子さんがいらっしゃる事が全てを物語っているんだと思います。
親孝行 したいときには 親は無し といいますが、
それすらも包み込む愛情が注がれていたのでしょうね。
ステキな記事をありがとうございます。
私もそう思います。従兄弟達は皆優しくて、伯母や伯父に愛情深く育てられた事がよくわかります。そんな従兄弟達がいてくれて私は幸せです。